ダメ人間にもなれない

PCの画面をクリックするしかできない男の日記

頑張れは相手を選んで使う言葉

「頑張れ」という言葉は基本的に使わない方だ。むしろ「好きにしろ」みたいな言葉の方が圧倒的に多い。理由は俺にとって「頑張れ」という言葉は相手を束縛するみたいな意味合いが強く感じるから。

 

だからと言って頑張れという言葉自体が大嫌いなわけでもない。状況、使う相手によってはどんどん使っていい時もある。それは相手が何かに本気で取り組もうとしていて、それを後押しする時だ。

 

特に俺はブラックな企業から転職しようとしている、毒親のいる実家から逃れようとしてる、或いは世界一周とか自分のやりたいことをやろうとしている人達に対しては松岡修三氏も真っ青になるくらいのウザさで頑張れと言ってあげたい。犯罪行為とかとんでもなく迷惑がかかる以外のことならば例え無理だとわかっていても後押ししたくなる。

 

 

逆に頑張れと言ってはいけない時も当然ある。それは相手が完全に気力を失っている時だ。そんな人間のケツを蹴るなんてクソなイジメ同然であり、無益な行為だ。残酷なことを言うがその相手は何をやってもダメだ。せめてそっとしておいてあげることが武士の情けだろう。

 

ネット上で特に目に付くのが、ブラック企業とか毒家庭によってボロボロになった人たちに対して「お前はできるはずだ頑張れ頑張れ」とか、「お前が弱いから悪いんだよボケ!」といったシバキだ。前述した通りその人が何かをやろうとしているのなら別だが、大抵の人は戦闘不能状態に近い。

 

努力しない奴が大嫌いという心理だろうが、それこそあんたの問題であって自己責任だろうがと言ってあげてもいいが、ぜーったいに聞く耳持たないだろうし、粘り強く説得するだけ時間の無駄ってやつだ。

 

まあ俺みたいな戦闘不能状態になるのはレアなケースだろうけど、そうなる前に何とかできるのが理想だろうね。

 

頑張れという言葉は決して悪いものじゃない。だが、頑張れを使う前にできるだけ相手を観察して、その人が本当にやれる人間なのかを見極める必要はあると思う。