ダメ人間にもなれない

PCの画面をクリックするしかできない男の日記

謙虚は最終形態じゃないのか

甚だ唐突だが俺は決して謙虚な人間ではない。元々が無駄にプライドが高いし、結構調子に乗りやすいし。でも歳を重ねると謙虚さもある程度は必要かなとは思うが。

 

よく謙虚にならなくてはならないと多方面で言われていて、確かにその通りなのだけれども、そう言われてもなかなか身につかないしね。「はぁ?」と反発するケースも多いだろう(正に俺です)。

 

ちょっとひねくれた考え方と捉えられるかもしれないが、弱くて自信のない人間が「謙虚さ」から入ろうとすると高確率で舐められていいように扱われてさようなら~♪とされちゃうのが関の山だと思う。

 

それだったら「周りなんかクソだ。俺の方が数億倍偉大だわ。」と自己愛全開にやっている方が健康的じゃないだろうか。それで前向きな努力が継続できてれば何らかの形で成果も出てくる。

 

でもそれをやり続けて上手くいったら舐められなくはなるけど、今度は知らず知らずのうちに人が離れていくんだよね。表向きは仲間のフリをしているけれども、腹の中ではケツまで出している、面従腹背の状態になって。

 

そうやって調子に乗って痛い目に遭って、初めて「謙虚さ」の重要さを覚えて身につけていくものじゃないかと最近は思う。

 

よく「俺はこれだけ努力したのだから成功できたんだ。お前らは努力が足りないだけだ。」と平気で吹聴する人たちを見かける度に、「あんたらは努力できる環境と運と才能に恵まれたんだ。もっと謙虚になれよ。」と言いたくもなるけれども、それを言っても余計意固地になったりするから時間の無駄だしね。せいぜい「勘違いしてろバ~カ♡」とドライに見下してあげるのがお互いの為だ。

 

こうやって考えていくと「調子に乗る時期」も人生の過程においては通過儀礼みたいなものかもしれない。努力して、天狗になって、干されて、最終的に謙虚さを学んでいくみたいな形で。

逆に最初から謙虚そうに見える人は本当は謙虚な人ではない可能性が高いのではなかろうか。いざ上手くいったら別人のように人格が変わってドン引きさせられたりすることもあるだろうし。

 

俺も昔は勘違いで調子に乗っていた時期もあって、かつてよりは謙虚になったつもりではあるけれども、宝くじが当たったりしてヒャッハー!とまた調子に乗らないようにしたいものだ。