ダメ人間にもなれない

PCの画面をクリックするしかできない男の日記

シンドラーのリストを観た ネタバレ注意

先日amazonprimeでシンドラーのリストを観た。1993年に公開された、リーアム・ニーソン主演の映画だ。ずっと名前は知っていたけれども、amazonprimeで観れることを知って、試しに観てみることにした。

 

1939年ドイツ軍に占領されたポーランドの都市クラクフが舞台。そこに住むユダヤ人達は彼らを蔑視するナチスドイツによってゲットーと呼ばれる劣悪な住居に追いやられていく。そんな中ドイツ人実業家でナチス党員のオスカー・シンドラーがやってくる。金と巧みな交渉術を駆使してユダヤ人の所有していた工場を払い下げてもらい、軍用ホーローの事業を始めて成功を収めていく。

当初は営利にしか目がなかったシンドラーであったが、ドイツ軍によるユダヤ人の虐殺を目の当たりにするようになり、徐々にユダヤ人達を救う方向に変わっていく。

1200人のユダヤ人を救った実話を基にしたストーリーだ。

 

まず、この映画の本編は白黒で構成されている。レトロ映画調であるけれども、ドイツ兵による侵攻、ユダヤ人の資産の略奪、そして虐殺等が生々しく描写され、逆にリアリティを感じさせられる。

次にとにかくグロテスクで残虐な描写が多い。ドイツ兵はユダヤ人たちを人形を撃つかのようにバサバサ撃ち殺しまくるし、良心の呵責など微塵も見せない。

特に建物に隠れたユダヤ人たちをクラシック音楽に合わせて射殺するシーンがあり、射殺した後にドイツ兵がピアノを弾く姿がただただ狂気であった。

虐殺したユダヤ人たちを焼却して埋めるシーンも衝撃的だ。積み上げられる死体の山と黒い灰、そして一輪車で資材のように運ばれていく死体の数々…目を覆いたくなるシーンがこれでもかと映し出されていく。

病気の検査として一斉に並ばされて全裸にされるシーンもショッキングだった。男性だろうと女性だろうと全裸にされ、恥部も見せつけられる。モザイクもない。あとは女性が髪を切られたりするなど人権も何もない世界をこれでもかと披露する。

 

人間模様も面白い。まずは主人公のシンドラー。当初は利益重視でパリピな実業家で、とても人道的な人物ではなかった。雇ったユダヤ人から直に感謝を告げられた時は嫌悪感を出していたくらいに。

しかし、馬に乗って周囲を散策している際に、ドイツ兵がユダヤ人たちを追い立てて惨殺しているのを目撃していて、赤い服を着た少女が逃げ惑う姿がシンドラーの目に焼き付く。そこからシンドラーナチスドイツのやり方に疑念を抱いていく。

そして、ユダヤ人の遺体が一輪車で運ばれていくシーンで、あの赤い服を着た少女の遺体もあった…そこからユダヤ人たちを救うために立ち上がる決意をする。

対照的な人物として、ユダヤ人収容所の看守のドイツ人将校のアーモンがいる。

彼は気まぐれで収容されているユダヤ人たちを銃殺したりするキ〇ガイのサイコパスだ。当初は同じナチス党員であるシンドラーとも交友関係にあって、アーモンの残虐性な一面も戦時中であるから仕方がないと一定の理解を示されていた。

ある日、度重なる虐殺を見かねたシンドラーから、「力とは、殺しを正当化できる時でも殺さないことだ。」と諭される。アーモンはそれを実践に移してみるが、どうしても我慢ができなくなって少年を射殺してしまう。彼は変わることができなかったのだ。

 

感想

3時間の長丁場の映画であったけど、ストーリーの構成もしっかりしていて退屈させられなかった。そして、第二次世界大戦の戦時中のユダヤ人の虐殺という実話を描いた映画である為に残虐な描写や人間の残酷性が出る場面が多くて、観る人によってはトラウマになる人もいるかもしれないが、忘れてはいけない、語り継がなければならないものだと思う。

 

シンドラーは最終的に1200人ものユダヤ人を救ったのだけれども、彼は最初から「聖人」であったわけではなかった。上述の通り最初は金儲けが目的でユダヤ人を人道的に救う気はなかった。あのアーモンとも仲が良かったし、一歩間違っていたらアーモンと同じような末路を辿っていたかもしれない(アーモンは最後に逮捕されて処刑された)。

俺が思うにシンドラーとアーモンの運命を分けたのは運と人の縁のような気がするが。

 

白黒映画であるにも関わらず赤い服が描かれる少女についてだが、シンドラーを変えるきっかけになったキーマンである。印象深いシーンとして、1200人分のユダヤ人のリストを作る際に一人の「空白のリスト」を作るように依頼する場面があるが、個人的には赤い服の少女のものだろう。本当は救いたかった命、そういうシンドラーの心情が伺えた。映画のタイトル画像も赤い服の少女の手を掴んでいるし。

 

最後に、シンドラーがアーモンに諭したセリフのように、真の強者とは無闇やたらに争ったりしないというのが真理を得ていると思った。これは決して無抵抗主義とかそういう意味じゃない。本当に闘うべき時に闘う。現代を生きる人達への教訓でもあると感じた。