ダメ人間にもなれない

PCの画面をクリックするしかできない男の日記

生存権主張派ではないけれども

twitterでは精神病や持病を抱えていたり、社会に上手く適合できていないといった生き辛さを抱えている人達を多くフォローさせて頂いている。そういった人達でも大きく分けると2つに分かれる傾向にあることがわかった。

 

それは、生存権主張派と、放棄派だ。簡単に言えば、「生き辛い世の中だけど生きさせろ!生きていこう!」という人達と、「もうこんな世の中は嫌だ!早くこんな世の中とオサラバしたい!」という人達がいることだ。

 

生存権主張派は、失業したりお金がなくなったとしても生活保護等の社会保障に頼ってでも生きればいいし、自殺するなんて馬鹿らしいという主張が目立つのに対し、放棄派は生活保護とかの申請をしてもなかなか通らないし、通ったとしても色々と制限があるのでいっそのこと安楽死を合法化してほしいという意見が多いように見受ける。

 

そして生存権主張派と放棄派で溝が生まれてしまい、下手するとバトルに発展してしまうケースもある。同じ生き辛さを抱えている者同士が無為に叩き合ってもどうしようもないだろう。

 

因みに俺は後者の方だ。本当は社会保障とかがしっかりしていた方がいいと思うし、皆が生きたいと思える環境の方が理想的だ。だけど、どうしても財源的な問題だったり、感情論などといった問題がぶつかってしまうので、そんな世の中の実現はもう諦めてしまっている。せめて武士の情けとして生殺しからは解放してくれという思いの方が強い。実際はそれすらも認めないだろうけども。

 

そんな感じなのでタイムラインで前者の人達のtweetが流れてきたら複雑な気持ちになる。貴方達の気持ちはわかるけれども、それを現実化するのは無理じゃないかなとなるし、申し訳ないけれども一緒に頑張って生きていこうという風にはできないのだ。

逆に向こうが俺の普段の呟きを見たら距離を取るだろうし。

 

それでも俺は陰ながら見守り、密かに応援していきたいと思っている。生存権を高々と主張するスタンスではないけれども、どうしても自己責任論を振りかざして他人をシバいたりイジめたりする側にもどうしても入れないので。

意見は違えども、押し付けあったり貶めたりしなければそれでいいし、得るものがあるならばフォローしていてもいいと思うので(向こうからブロック・ブロ解されたらこちらからも距離を取ります)。