ダメ人間にもなれない

PCの画面をクリックするしかできない男の日記

ギリ健といっても千差万別

ギリ健、発達障害グレーゾーンといった「普通じゃないけれども普通とされる」人達にスポットが当たり始め、そうした生き辛さに関しての情報がかつてよりも入りやすくなった昨今であるが、とあることに気づいた。

 

それは、ギリ健といえども対象範囲がとてつもなく広いことだ。

 

もう少し詳しく書くと、ギリ健と呼ばれる人でも秀でた能力を持っていたり、周囲のサポートを得られて社会に適合している人もいれば、その逆で社会で通用するスキルも持たず、周囲からの理解を得られずに普通の怠け者扱いされている人までピンからキリだということだ。

 

つまるところギリ健でもバリバリ活躍できる人達もいるということだ。鬼滅の刃の竈門炭治郎ばりの超絶努力家タイプもいるだろうし、スポーツや芸能で有名な人達の中にもギリ健と呼ばれる層は確実に存在するだろう(本人に自覚がないケースもあるだろうし、隠していることも想像される)。

 

そうなると同じギリ健でも適合している層とそうでない層とでは全くの別物であり、仲良くなんてまずできないだろう。

自分と同じような特性や障害を持っている人達に「理解してくれるだろう」という期待を込めて近づいたら「思わぬ攻撃」を受けて傷ついてしまうケースもあると思う。まあそういう期待を持つこと自体が間違いだとも思うが。

 

勿論同じギリ健の「同士」として互いに励ましあったり情報交換するケースもアリだけど、過度な期待や依存は禁物なのだろう。

 

色々とググってみて、自分と考えが合いそうであるとか、自分の具体的な行動につながりそうな情報を持っている人を参考にしていった方がいいだろう。