ダメ人間にもなれない

本物のクズの日記

スターウォーズ スカイウォーカーの夜明けを観てきた ネタバレ注意

先週の土曜日のレイトショーでスターウォーズの最新作を観てきた。

毎度のごとくネタバレが含むのでこの先は自己責任で…

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あらすじ

ファーストオーダーの最高指導者スノークを殺害し、最高権力者となったカイロ・レンは惑星エクセゴルへ向かう。そこで出会ったのは30年前の戦いで死亡したと思われていた皇帝パルパティーンだった。彼はそこでレイを殺害するように命じられる。

一方、師ルーク・スカイウォーカーを喪ったレイはレジスタンスのレイアの元で一人ジェダイの修行を行っていた。そんな中フィンとポーはファーストオーダー内のスパイを通じてパルパティーンの生存を知り、レジスタンスに伝える。

レイたちは皇帝パルパティーンのいる惑星エクセゴルの手がかりを探すために旅立っていく。

 

スノークの正体

前作でカイロ・レンに呆気なく倒されたスノーク。彼の正体は今まで明かされていなかったが、本作でパルパティーンの操り人形であることが判明する。詰まる所、ファーストオーダーの所業は全てパルパティーンの意のままだったのだ。

 

レイのファミリーネーム

新三部作が始まってからレイのファミリーネームが謎になっていたが、こちらも明らかになる。カイロ・レンから告げられるのだが、本名はレイ・パルパティーンパルパティーン皇帝の孫娘に当たるのだ。レイの両親はレイを守るために惑星ジャクーに隠し、その後に殺害されてしまう。本作でもレイがフォースライトニングを使うシーンがあり、シスの血を引いている伏線が張られている。

 

感想

遂に長きに渡って描かれたスターウォーズが完結したわけだけど、やっぱりパルパティーンは銀河最強の男であり、有能すぎると個人的に思う。エピソード6の時点で明らかに突き落とされて死んでいたはずなのに密かに生きているし、潜伏期間の間にしっかりとファイナルオーダーという巨大艦隊を編成しちゃってるし。というよりもどれだけ長生きなんだろう?パルパティーン爺ちゃん(既に人間ではないと思うが)。

あとは今作では遂にレイアも亡くなってしまう。前々作ではハン・ソロ、前作ではルーク・スカイウォーカーと過去の英雄たちが次々と去っていくのは時代の流れとはいえどもやはり寂しい。そんな中再登場したランドがいい味を出していると思う。作中での飛行船を操る活躍もそうだが、レイアの跡を受け継いだポーに対しての励ましが素晴らしかった。個人的は本作でのハイライトだと思う。

ラストは、レイがルークとレイアのライトセイバーを惑星タトゥイーンのラーズ達の住居跡に埋めて、通りすがりの老婆に名前を尋ねられ、「レイ・スカイウォーカー」と名乗りエンドロール。

本当に長い物語で、何度も平和になったかと思えば奈落の底に突き落とされた展開だけど、ようやくハッピーエンドになって良かった。

 

 

 

 

 

 

自分の人生を成長株と見るか、消耗品と見るか

最近はブログを書いていなくてひたすら積みゲーなり、日々の生活に追われたりしていた。そんな生活ではあったが、時折marimonさんみたいにネットで活躍していたりする人たちのことが頭の中に浮かんだ。「何であの人たちはあんなに前向きに努力したり行動できるのだろうか?」と。

 

俺が思いついたのは、彼らは自分の人生を成長株と見ることができるのではないかということだった。

無職とかニートとかそういうカテゴリのブログとかを読んでいると過去に壮絶ないじめを受けたりだとか、不登校経験があるとか、働いた会社でパワハラを受けて精神障害を患ったりと辛い過去を背負っている人たちが多い。

それでもその人たちの多くはそんな過去に負けずに資格を取って再就職したり、正社員以外の道を模索して行動したりしている。それができるのは傷ついているけれども壊れ切っていないから。もっと言い換えれば根底に安心感があるから努力ができるのだ。

なので努力の過程で失敗があったとしても、長期的に見れば必ず価値が上がると信じられる。

 

逆に自分の人生に価値があると信じられない人はどうだろうか。時間が経つにつれて健康状態は悪くなり、就職先も狭まれるし、何の取り柄もなければ徐々に人に相手にされなくなる。それだけでもキツいが、なけなしの自己肯定感までもが破壊されてしまったら正直どうしようもなくなる。

そんな人生なので当然将来性など見込めるわけもなく、消耗品としてしか見れなくなる。もっと言い換えれば更に価値が下がり続けるので損切り対象といえばいいだろうか。

 

俺は残念ながら自分の人生を消耗品としてしか見ることができない。人生を逆転とか再生とか謳っている人たちは凄いと思うと同時に埋めようのない溝のようなものを感じてしまう。

刹那享楽的と言われればそれまでだが、残された日々を好きにできるだけ楽しく生きる、そういう生き方しかできないのだ。或いはもしかしたら生まれた時からそういうタイプの人間だったのでは?と今は思う。

 

 

 

 

笑点を見ていると色んな意味で萎えるよね

毎週日曜日の夕方は笑点を観ながら夕食を食べることが多いのだけれども、笑点を観てると2つの意味で萎えてしまう。

 

その一つが日曜日の夕方に放映されている点だ。俗にいうサザエさん症候群と似たようなもので、俺の場合は笑点の時間になると憂鬱になるし、色々な意味で後悔の念に苛まれる。まあそれを言うならばバンキシャ症候群とかもあるだろうけども。

 

それだけならまだしも、もう一つの理由が出演者がとにかく凄すぎる点だ。司会者の出したお題に対して持ち前の芸(落語)を即興で披露する頭の回転の速さ、時事系のネタの上手さがお見事すぎて開いた口が塞がらなくなってしまう。勿論出演者たちは落語界でも修行を重ねて選ばれた「チャンピオン」なのはわかっているものの、俺があの場所にいたら確実に何もしゃべらないまま放送終了になってしまうだろう。

 

落語界もそうだし、コメディアンの人たちは本当にすごい人たちだよね。頭の回転とかネタの作りこみとかもあるけれども、何といっても精神力がとんでもない。俺だったら飲み会とかで「一発芸をやれ!」とか急に言われても頭の回転がすこぶる悪くて、何よりもスベった時の事を考えたら絶対にやれないし。

 

そういう意味で言ったら俺は関西生まれでなくて良かったのだろう。向こうではユーモアのセンスも結構求められたりするので今以上に疲弊していただろうし。関西人が悪いとかそういうわけじゃなくて相性の問題なのだろうけど。

 

誤解しないでもらいたいのだが、決して笑点自体を否定しているわけではないし、内容も面白いのでずっと続けていってほしい番組の一つだ。

ただ、人を笑わせたりすることが絶望的にできないだけなのだ。

ニートやひきこもりは本当にプライドが高いのか?

検索エンジンニート、ひきこもり、プライドと入力すると、「ニート プライドが高い」、「ひきこもり プライドが高い」と予測変換が出てくる。そして検索結果は「ニートやひきこもりはプライドが高い」というサイトばかりが出てくる。

 

そもそもニートやひきこもりの人たちは本当にプライドが高いのだろうか?

俺は必ずしもそうとは言えないと思う。ちょっと悪い例えになってしまうけれども、難関大学を卒業したニートが「俺みたいに勉強ができた人間がトラック運転手なんてやってられるかよ!?」なんて見下しているのを見かけたらこいつはプライドが無駄に高い奴だなとは思う。誤解のないように言うが、決してトラック運転手の人たちを馬鹿にしているわけではない。

 

だけどニートとかひきこもりの人たちは「自分の意見を言わない」、「自分に自信がない」、「頼まれたら断れない」といったいわゆるプライドが低いケースの方が多いのではなかろうか?以前働いていたけれども、同僚や上司に舐められたりいじめられたりしてボロ雑巾のように扱われた人たちも少なくなかろう。

そういう人たちがちょっとでも自己主張しようとすればプライドが高いだのわがままだと叩かれてしまう。お金持ちだったり権力者とかだったらほぼお咎めなしな傾向なのにね。

 

結局のところ、ニートやひきこもりの分際で偉そうな口を叩くんじゃねーよ!黙って働けボケ!ということではなかろうか。確かになりふり構わずに行動するのも有効な場合もあるが、それで会社側とケンカになったり取り返しのつかないトラブルに発展したらどうしようもない。

 

プライドが邪魔をして行動できなかったり、周囲とトラブルを起こし続けるというのは困りものだが、単なる「必要悪叩き」で終わってしまっては何の発展性もない。

有職、無職関係なくプライドが高すぎるとロクなことはないという風には言えないものだろうか。

 

 

 

行動できない人を笑ってはいけないよね

何かを変えるのは行動。されども行動できない人を笑ったりするべきではない。

 

色んな人気YOUTUBERとかブロガーの人も「行動、行動」と呪文のように発していて、それは紛れもない真実ではある。だけれどもどうしても行動できない人というのも一定数出てくるのもまた事実なのだ。

 

ニートとか会社員とか関係なく、ネットを眺めているとどうしても2種類のタイプに分けられる。行動できる人たちと行動できない人たちとで。

行動できるタイプの人たちは共感を得やすい。逆に行動できない人たちの方は一時的な共感は得られてもそのうち相手にされなくなってしまう。

 

ひねくれ者の俺としてはどうしても行動できない人たちにシンパシーを感じてしまうんだよね。経歴とかスペックは違えども「自由になり切れてない」ところが散見されるので。それに行動できない人を馬鹿にする文章を見かけると、「行動力があるのならば想像力を鍛えなさいよ」と言いたくもなるし。

 

行動してない人を馬鹿にしたり笑ったりしている暇があったら、楽しいことを考えるべきだろう。

そして俺含めて行動できない人は、巷で溢れている行動力溢れている人たちを見ても落ち込んだり卑下したりしないようにした方がいいだろう。

彼らに影響を受けて何かを変えるきっかけになれば理想だが、生まれも育ちも元々持っているスペックも違うので真似できなかったとしても何ら問題ないはずだ。

2020

どうもあけましておめでとうございます。今年も皆様にとって有意義な一年になればいいですね。

 

柄にもない挨拶から始まったがここからはいつもの激烈な文章で。現在真世界タイ王国から地獄の島々日本への飛行機待ちの間に書いているわけだが、今年の抱負というか個人目標でも掲げてみよう。

 

1.フルマラソン4時間30以内。

 

昨年の大会では何とか5時間以内だったけれども、今年は4時間30分を狙ってみてもいいと思っている。前回は両膝が痛くなったものの、「まだ余力があるのでは?」と思う場面があったので昨年以上に走る機会を確保してタイム短縮に挑戦してみたいのだ。

こんな欲が出てきて調子に乗ると必ず痛い目に遭うのは踏まえつつも、ただ参加しただけで終わりというのもどうかと思うので。勿論完走という第一目標を達成するのが優先なので、無茶のないようにやっていきたい。

 

2.英語を学ぶ。

 

今回のタイ旅行で身を染みて感じたことだが、海外において自分の意思表示が困難であることだ。今回は幼稚園児並みの英語力とジェスチャーとノリで凌いだけれども、本当に英語しか通じないところに行ったら完全に終わりだ。なので独学にするかスクールに通うかはわからないが本格的に学んでみるつもりだ。

 

3.強迫性への挑戦(継続)

 

昨年から続いているが、これも引き続き取り組まなければならない課題だ。強迫行為をやり続けると本当に精神的にもしんどいし、神経もかなり使う。

正式なカウンセリングを受けるつもりは今のところはないが、マラソンや旅など身近な趣味を活用してうまく克服していきたいものだ。

 

それ以外にもやりたいこととかは色々あるけれども、取り敢えずは3つに絞ってみよう。いずれにせよいかに主体的に取り組めるかが重要なのだ。もう縛られたりする年齢でもないと思うし、自己責任社会だったらそれなりに好きにやるのも許されるはずなのだ。

 

それでは、これを言うと色々批判がくると思うが敢えて言わせて頂く。

 

生きたきゃ生きようぜ!!

2019年総括

今年もいよいよ残り少なくなり、読者の方々の過ごし方も様々だろうがここらで今年を総括してみよう。

 

 

お金の話

 

今年の年始めにtwitterで積み立てNISAの口座を開設すると言っていたけれども、結局開設せず仕舞いだった。というよりも投資信託の方もずっと放置したままだ。新しい銘柄を一つ増やしただけで。

投資信託は長期を見越してやるものだと思うので、来年もこの調子で少しずつ金額を増やすなりしていこうと思う。というよりもうまく節約できるようにしなければならないのだけれどもね。余裕があれば来年こそは口座開設に繋げていきたい。

 

コミュニティの話

 

これも本当に申し訳なく、情けないが結局できず仕舞いに終わってしまった。何度かツイキャスをやろうと思ったときはあったものの、キャパオーバーだったり精神的な問題であったりして、「また次にやろう」という感覚で先延ばしにし続けた結果このようになった。

5か月間質問箱を開設していた時期があり、それなりに有意義に活用させて頂いていたが、予想以上に時間を費やすのと精神的にも堪えるものがあったので止めることにした。

それでもまだ「発信したい」という気持ちは消えてないので来年こそは何らかの形で「一時のキズナメ」として行動したいとは思っている。

 

 

仕事の話

 

去年と比べると周囲の辺りもさほどキツくはなくなってきたものの、自分の中では色々な面でキツさは残っている。実際にブチ切れてしまったこともあるし。

年齢的に見ると転職とかは厳しいけれども、もしもまた危険な状況に陥ったら辞めることも十分にあり得る。その時は流石に実家を出て新たな行動に出るかな。

だけど今すぐに退職代行サービスを使うというわけではないし、もう少し自分なりのやり方で主体的に取り組めるようにはしていけたらなとは思う。

 

強迫性の話

 

これに関しては一進一退というのが実情だ。仕事中でも強迫行動を無視したり抑えたりできる場面は以前に比べて増えてきた実感はある。だけど疲れていたりミスをして動揺してしまったときは強迫行為が増えてしまう。あとは人ごみとか狭い道を車で運転したりする時なんかはでやすい。

確かに事故とかミスとかは怖いけれども、だからといってひきこもらないようにして敢えて街中に遊びに行ったり、車で運転する機会を作るようにした方がいいのだろう。

 

ランニングの話

 

正直言って去年の俺では考えられないくらいのめりこんだ。特にフルマラソン完走は手前味噌ながら我が人生の歴史の大きな1ページとなった。完走後もサボった期間はあるものの来年のレースのエントリーも決まったし、いい具合でランニングライフが始まったといえる。

 

総括

 

ぶっちゃけて言うと何者にもなれず行動力のないおっさんの一年ではあったけれども、大きな事故や事件、悲劇に巻き込まれずに一年を過ごすことができたのは奇跡であり、幸せであった。

来年はリーマンショックリターンズも予想されるけども、何とか俺なりの主体的な行動が取れたらいいと思う。周囲の人間はやたらと縛り付けたり否定したりするけれども、その人たちは決して相手の人生に対して責任を持つことはできない。なので、彼らの言うことを聞く義務などは決してないのだ。

 

今年1年、コメントを下さったりブックマークやスターをつけて下さった皆様ありがとうございました。来年もまたお時間があれば覗いていただけると幸いです。

 

それでは良いお年を!