ダメ人間にもなれない

PCの画面をクリックするしかできない男の日記

身の回りには何気に「偉人」が多い

おはようございます。どうもお久しぶりです。

最近は読書の習慣ができたりもしたけど、ブログの方に割くエネルギーがなく、ずっと放置になってしまった。なのでたまには少しだけマジメに書いて、また色々な方のところへお邪魔しにいこうと思う。

 

読書に関する話題として、いつもは図書館に行って本を借りて読むが、たまには家にある放置された本に目を向けてみようと思って先祖の自伝的な本を読んでみることにした。

実のところ俺の先祖は知る人からすればそれなりに有名であり、名を残した人なのだ。

現在は読んでいる最中であり、身バレ防止の為に内容のレビューをするつもりはないけれども一種の新鮮な気持ちで読ませて頂いている。

 

思えば親類を見渡してみてもそれなりに社会的に成功していたり活躍している人が多くて、借金をしまっくたり人様に迷惑をかけまくったりといった「アウトロー」的な存在がいない。

そこまでの「迷惑系」でなくとも一族の中で一人くらいはアウトロー的な人がいても良かったのかなと思ってしまう。そういう意味でいうと俺は一族の異端児みたいなものなのだろう。実際のところ目立った行動はさほどないが、思想的には超絶自由奔放でウルトラ放任、無関心だし。

 

自伝の本の話に戻るが、祖父の前の世代までさかのぼると仕事もロクにせずギャンブルばかりして資産をことごとく売り払ってしまったご先祖様がいることに驚かされた。

親類の家に行っても先祖の偉大な功績について語られることはあってもそういったことは殆ど語られてこなかっただけに。おそらくその子孫たちは相当な苦労をしてきたことは想像に難くない。

というよりも俺はその放蕩なご先祖様の再来なのでは?と思ってしまう。輪廻転生は信じていないし、むしろ存在するというのならばそのシステムを破壊してしまいたいとさえ思うくらいだが、何かの因果を感じるのも事実だ。

 

いやはや、一族を紐解いていくと意外と面白いことがわかるものだね。実はあの人が遠い親戚であったという話もたまにあるし。

 

そして厨二病的な言い方をすれば、俺は周囲の立派な人達にはどうしてもなれそうにないので、「車寅次郎」枠になるしかないのだろう。

もっとも、愛される要素もないドライな寅さんになってしまうが(ただのクソ野郎じゃないか)。