ダメ人間にもなれない

年金、福祉のない超低資産の老後生活

半活動休止が丁度いい

今の俺は「半活動休止」がトレンドになってきている。

 

ここ最近はtwitterやブログをサボりがちだったけど、決して資格取得の勉強とか、頑張っている人たちみたいなことをしていたわけじゃない。

暴露させて貰うけど、ずっとFallout4をやっていた。買ってから多分2年以上はやり続けていることになるね。本音を言うと、貯金の許す限り引きこもってFallout4をやり続けていてもいいくらい。だとすると年内一杯、いや、あと半年くらいかなあ。

 

まあ俺のような無能がいくら足掻いても海外にいる超絶ハングリーエリート様にはぜ~ったいに敵うはずもないのでここいらで人生の損切りをしちゃってもいいと思ってるけどそこは置いといて。

ネット全般は活動休止が丁度いいんじゃないかなと思うようになってきた。以前はtwitterであれば1日に1tweet,ブログだったら1日に1記事と自分に言い聞かせてきたけれども、それをやってるといつしか内容が薄くなってきて、しまいには自己嫌悪に陥る。

更に誰からもいいねや拍手が貰えなくなってくると「ブログ消したい病」が発症してしまう。それで過去に4回ぐらいブログを消した根性なしでございます。

 

 

teinousennin.hatenablog.com

 

そうやってネットと縁を切ろうとしても、しばらくしたらまたやりたくなっちゃう。見ないようにしていても昔で言うROM専になって、自分でもまた呟きたくなり、また性懲りもなく復活。こりゃあ人は離れていきますわな。

 

こういうのを繰り返していく内に、自分の中で「半活動休止」のスタイルができ始めていた。やりたい時だけガーっと呟いたり記事を書いたりして、やらない時はひたすらFallout4!以前のように無意識にスマホを開いてtwitterの画面を出したりしないようにする。

 

結局のところFallout4をやるための口実になるけれども、このスタイルの方が精神衛生的にもいいと思う。ネット上では頑張っている人たちがいっぱいで眩しいしね。

 

ただ、半活動休止になったとしても書いた記事に関してはできる限り、法に触れたりしない限りは残しておくようにしたいと思っている。ブログ消しの常連の俺がいうのもアレだけど、この先考えが変わったりしても残しておくことが発信者の責任だと思うから。

 

たまーに過去のブログを思い出す

現在のブログは俺の記憶が正しければ5代目になる。一番続いたのが初代のブログで、短かったのが2代目のブログとなる(かなり強烈な内容だった…)。ブログを再開しては消してを繰り返していって、現在のブログに行き着いたのだ。

 

今思い起こすと、初代の頃のブログは前職を辞めた時だったか。初めての無職時代で、無知な部分もあったのか、ある意味前向きな記事が多かった。少なくとも今よりは前向きだった。その後のどうしようもない現実の壁に直面して今のような虚無スタイルになってしまうけれども。

 

そんなこんなであの頃のブログの記事を思い起こして思うことは、根本の部分は変わっていないということだ。

 

特に労働観。無職・ニート時代の時も(その前の会社員時代の時も)現在も、「優秀な人間がバリバリ働く」、「無能な人間は無理矢理働く必要はない」というものだけはどうしても変わらないのだ。

これはおそらく前職、前々職の頃にひたすら我慢して親と上司の板挟みになり続けた経験が大きいのだろうと思う。

それに加えて、昨今の世界情勢を見ていても今後の労働は真の匠がやるべきであり、俺のような無能な人間は駄賃を与えて黙らせる方向に持っていくのが効率的だと痛感するようになった。

まあ、無能な人間でどうしても働きたいという人に対しては労働もどきの「福祉」をやらせてあげてもいいと思うけどね。

 

あと、死生観も当時とほぼ変わっていないと思う。俺は人に対して生き続けろと命令することはできない(無論、自殺しろ!と命令もできないが)。

何故ならば、生きることを拒否している人間を無理矢理生かすことは生きようとしている人を殺傷したり、虐待を加える行為と同等という考えがあるからだ。

これも上記に書いた前職の経験(それに加えて幼少期からの積み重ね)、そして、亡くなったと思われる方々のブログ(無への道程、君が悪い、君などなど)の影響が大きい。

最近ではtwitterでもブログでもそういう記事を見かけることは少なくなっていった(多分削除されたであろう)けど、たまに目にかかると釘づけになって見てしまう。未だに彼らに対してシンパシーを感じているのだろう。

あの当時はとにかく安楽死!安楽死!とすがるようにそっち系のアカウントなりサイトを検索しまくっていた。そうすることで精神を安定させていたのだ。しかし今では殆どそれをやらなくなっていた。実際に安楽死がこの国はもちろんのこと、合法化している国でも重病だったり超高齢者だったりと限定されたりして、俺のような年代に適用されることはまずないからだ。

あと、最近では安楽死反対派の声にも同調できるようにもなってきた。安楽死を合法化すると生きたい人にも影響が出るのではないかという不安とか。確かにそうなってしまっては本末転倒だろう。だからといってみんな生きる義務があるという考え方には納得などできないが。

安楽死に関してはかつてほど執着していないが(それでも賛成はしている)、せめて「自己責任社会なんだから生きたきゃ生きようぜ」というスタンスでやっていこうとは思っている。

 

こうして振り返ると、考えがちっとも変わっていない、まるで成長していないと批判されること止むを得ないと思うが、どんなに意識しようがしまいが人は何らかの形で変化していくものじゃないだろうか。クロマニヨンズの「スピードとナイフ」の歌詞にもあったけれども、変わらないものなんてない、ただ、周りと変わる速度が違うだけなのだろう。

 

追記 趣味用のブログのリンクを修正しました。稀に更新する可能性があるのでごひいきに。

クリード チャンプを継ぐ男を観た ネタバレ注意

前作のロッキー・ザ・ファイナルでロッキーシリーズが完結したかと思いきや、何と続編があったんですね~(今年に入って知った)。それが「クリード・チャンプを継ぐ男」。

 

主人公はあのロッキーの宿敵でもあり最大の親友でもあったアポロ・クリードの非嫡子、アドニス・ドニー・ジョンソン(以下アドニス)。非嫡子というのは隠し子。ロッキー4のドラゴと戦って亡くなる直前にできた子供なのだ。アポロさん、あんなにいい嫁さん持っておきながら隠し子とは…

 

そんなアドニスは幼くして父親、そして母親もすぐに亡くなって孤独となってしまい、施設を転々とする幼少期を送る。そんな彼の前に現れたのが、アポロの正妻のメアリー・アン。実の血の繋がりのない彼を引き取り、大学まで出して大企業の社員になるまで育て上げる。アポロの嫁さん、人格者すぎるわ。

 

メアリーのもとで立派な青年へと成長したアドニスではあるけれども、彼には密かに抱いていた夢があった。ボクシングである。メキシコで素人相手の試合ではあるけれどもひっそりとやっていたのだ。そしてボクシングを諦められないアドニスは会社を辞めて、プロボクサーへの道を歩むことに。

 

最初は父親のアポロの所属していたジムに、クリードの名前を隠して入門しようとするも、裕福な出であることと、素人相手の試合しか経験がないということで断られてしまう。それでも諦められないアドニスは、父親の宿敵だったロッキー・バルボアの教えを請うためにフィラデルフィアに向かう。

 

前作ロッキーザファイナルから約10年が経ち、ロッキーも老人の域に達していた。義兄のポーリーも亡くなり、亡きエイドリアンの墓の横に埋葬されていた。ポーリーの好きだった酒の瓶を供えて語るロッキーの姿が切なく、時の無情さを感じさせられる。

 

そんな中ひっそりと営業を続けていたイタリアンレストラン、「エイドリアン」にアドニスが師事を請う為に訪ねてくる。しかしロッキーはボクシングから離れていて、それを断る。仕方なくアドニスはかつてロッキーがいたミッキーのジムに入会することにする。ジムで練習を重ねながらもロッキーに熱烈なアプローチを続けて、遂にロッキーから直接指導を受けられるようになる。

 

ロッキーシリーズファンならお馴染みのニワトリを捕まえるトレーニング等をこなしていって、迎えたデビュー戦も2ラウンドKOで勝利を飾るなど、順調なスタートを切るものの、同時に隠していたクリードの名前がばれてしまい、世間にアポロの息子だと知れ渡ってしまう。

 

その頃、世界チャンピオンのリッキー・コンランは銃の不法所持によって収監がきまっており、「最後」の対戦相手を探していた。そこでコンランのマネージャーのトミーは格下のアドニスを指名する。そう、あのアポロの息子であれば注目が高まると踏んだからだ。それを察知したロッキーは対戦を断ろうとするが、クリードの名を背負う覚悟を決めたアドニスは対戦を決め、更に厳しいトレーニングを積むことに。

 

しかしそんな中ロッキーに癌が見つかり、入院することになってしまう。手術を薦めるアドニスに対して、辛い闘病を送るくらいならば、天国にいるエイドリアンやポーリーに早く会いたいと、拒否する。それでアドニスとロッキーは口論になってしまい、自暴自棄になってしまう。そして実の母親を罵ってきた男と喧嘩になって、アドニスは留置場に入れられてしまう。実の母親を侮辱されて怒るのはわからんでもないけど、プロボクサーが一般人を殴っちゃだめだよな。そういう意味ならばロッキー5のトミーなんて論外だけど(ポーリーをKOしてしまった)。

 

そんな傷心のアドニスを迎えに来たのはロッキーだった。アドニスに対して謝罪し、諭した。そして自らも癌との闘病を決意する。アドニスは王者コンランへ、そしてロッキーは難病と同時に闘うことになる。

 

運命の決戦の日、アドニスは完全アウェーの中コンランとの対戦に臨む。当初はコンランに押され気味だったが、アドニスが強烈な一撃を与えると激しい乱戦となる。最終ラウンドでアドニスはダウンを奪うも、コンランが立ち上がって逃げ切り、コンランの判定勝ちとなる。試合前はアドニスを見くびったり挑発したりしていたコンランだったが、「次のチャンピオンはお前だ」と称賛する。そしてアドニスは、セコンドについたロッキーを「家族だ」と呼ぶ。

 

ラストはお馴染みのフィラデルフィア美術館の階段をアドニスとロッキーが歩く。その際のロッキーは「誰かが階段を一段増やしたな」とジョークを飛ばしつつも息を切らしながら登る。そこには前作のようなパワフルなおじさんの姿はない。だけど、新たな「息子」アドニスとの間に確かな絆が生まれているのは明白だった。

 

感想

 

実はクリードを観るのは正直ためらっていた。何故ならば、自分の中でロッキーシリーズはロッキー・ザ・ファイナルで終わっていた(終わらせてほしかった)のと、ポーリーが作中で亡くなっているのを知ってしまったから。今作では遂にあの憎たらしいけどどこか憎めないポーリーすら喪ってしまう。アドニスを自宅に迎え入れるシーンでポーリーの部屋で語る場面で、「ポーリーは偏屈ではあったが親友だ」というセリフを聞くと、今までの思いがこみ上げてしまう。その後でポーリーが所持していたエロ本をアドニスが見つけて、「よろしく、ポーリー」と語りかけるセリフが何故か未来を感じさせられる。あと、前作では和解したかと思われたロッキーJrだが、今作ではカナダに移住してしまっている。個人的には何度和解しては離れるを繰り返すんだ?突っ込みを入れたくもなるけれども、これが現実的なのかもしれない。

 

次に、何といっても年老いたロッキーの存在感が半端ない。前作だったらスピードは衰えていても元気いっぱいの中年だったけれども、今作では完全に老人になってしまっている。足腰は衰え、持病も抱え、更に前述のとおり大切な人を喪ったり、離れてしまったりして孤独になってしまっている。
ロッキーシリーズを通して見てきた自分としてはこんなロッキーは見たくもないという気持ちになってしまう。

 

そんな中現れた「今」のボクサー、アドニス。彼は幼少期はけんかに明け暮れていたけれども、メアリーのおかげで真面目で立派な青年へと成長した。大企業に勤めた経験もあるから頭もよく、彼女やロッキーにも気配りができるハイスペックマンだ。何度も言うけどメアリーの人間性の高さの賜物だ。彼はそんな恵まれた環境もあって、初期のロッキーのようなハングリー精神は持っていないけれども、実の父と母が既に亡くなっていて、しかも隠し子として生まれた複雑な境遇をもつ。
なので最初は実父のアポロを嫌い、クリードの名前を隠していたのだ。

 

最後に、今作を観て思ったのは受け入れることの重要さだろうか。かつては栄光を極め(山あり谷ありが激しかった)たロッキーですらも年老いて孤独になっていくという事実を見せつけられる。あの愛されキャラ(?)のポーリーだって死ぬ。そういったことを踏まえるとロッキー・ザ・ファイナルのようにいいところで終わっておきたいという気持ちにもなりたくもなる。

 

だけど、いつかは受け入れなくてはいけないのだと思う。リーサルウェポン4で、衰えを感じたリッグスに相棒のマータフが俺は歳をとって老いていくのを受け入れたと諭すシーンじゃないけど、そうしないと進めないのだ。

 

この先、ロッキーの更なる老い、そしていつかはその人生のゴールを見せつけられるのだろうけども、目をそらさずに見ていきたいと思う。勿論、アドニスへのバトンの繋ぎも。

ロッキーザファイナルを観た ネタバレ注意

 

あらすじ

 

ボクシングから離れたロッキーは、愛する妻、エイドリアンを亡くし、フィラデルフィアで小さなイタリアンレストランを経営していた。かつての武勇伝を客に語る日々。息子のJrも独立し、距離感を埋められていない。そんな日々を過ごす中、ロッキーの中にまだ「熱いもの」が残っていることに気づき、ボクシングへの復帰を決意する。同時に、当時のヘビー級チャンピオンのメイソン・ディクソンからエキシビジョンマッチの試合を申し込まれ、「最後」の試合に臨むことになる。

 

エイドリアンの死

 

死亡シーンは描かれていないけど既に亡くなっていて、冒頭のシーンではエイドリアンの墓参りをするところから物語は始まる。その時の疲れ果てたロッキーの姿と、そばにいたポーリーの「俺はいい兄貴だっただろうか」というセリフが時の流れを感じさせられる。ロッキーシリーズは物語を進んでいくにつれて大切な人を失っていくのが辛い。

 

息子との距離感

 

前作では息子のJrとうまく向き合えなかったものの、ラストで和解していたけれども、今回は偉大な父ロッキーの息子というプレッシャーが重責で距離感が出てしまっている。何をやるにしてもロッキーの息子として見られてしまう。それが原因で父のもとから離れて、会うのも避けている現状だ。
第2作から4作を観た者としてはやはり寂しく感じる。

 

まさかの現役復帰!

 

偶然目に入ったテレビ番組で「ロッキーは過去の存在だ」と痛烈に批判されたのを見て、ロッキーの中のボクシング熱が再燃し、現役復帰を決意する。ライセンスの再取得の際に協会側は当初は反対するものの、ロッキーの粘り強い説得により何とか取得(作中のロッキーは50超えてるけど、驚異的な運動能力がある!)。トレーニングシーンではお約束の生肉を殴ったり、生卵を一気飲みしたりするけれども、50過ぎのおっさんがやってるのを見ると不思議とやる気が出てくる。

 

感想

 

前作はボクシングの試合もしなかったけれども、今回はちゃんとやるし、トレーニングシーンも本格的だ。それもピークを通り超した(普通だったらあり得ない年齢)おっさんがやるところがグッとくるのだ。特に歳を重ねた40歳以降の人たちが観たら闘志が湧いてくるんじゃないかな。
そして、我らが愛する?(どこか憎めない)ダメ人間のポーリーが老けたなあ。ロッキーも年をとったけど、ポーリーはもうおじいちゃんみたいになってる。前作までは毎回迷惑をかけたりハチャメチャな存在だったけど、今作ではむしろエイドリアンを喪って落ち込むロッキーを叱咤激励する場面もあるくらい。それだけ丸くなっている印象がある。

個人的なこの映画のハイライトシーンは、息子に挑戦することの大切さを熱く語るシーンだろうか。もっと若い自分に聞かせてやりたかったとしみじみと感じた。

 

ロッキー5を観た ネタバレ注意

 

あらすじ

 

ドラゴとの激闘を終え、帰国したロッキー。ようやく安息の日々を過ごせると思いきや、義兄のポーリーの不始末によって、税理士に騙され、資産を丸ごと失ってしまう。再起を図るためにボクシングの試合を組もうとするが、医師からもうボクシングをできる体ではないと宣告され、止む無く引退を受け入れることに。
仕方なく故郷のフィラデルフィアに戻り、ボクシングトレーナーの道を歩もうとする中、トミー・ガンという若者がロッキーに弟子入りを申し込む。当初は断っていたが、トミーの熱烈な要望と類まれな素質を見たロッキーは彼を自宅に迎え入れ、二人三脚で歩んでいく…

 

ロッキーの破産

 

今回は何と、チャンピオンになって手に入れた豪邸、高級車、バイク、その他資産諸々を全て失ってしまう(残ったのはフィラデルフィアの家とミッキーのボクシングジム)。そもそもの理由が、義兄のポーリーが、税理士にもうけ話があると唆されて、ロッキーの資産を丸ごと預けてしまったのだ。そしてそれを丸ごと持ち逃げされるという顛末。毎回不始末をやらかすポーリーだけれども、今回は流石に笑えない。それでも見捨てないロッキーは凄い人格者だ。というよりもリアルの世界だったら〇されていても不思議ではない。


ロッキーJrとの確執

 

ボクシングを引退して、ようやくロッキーJr(以下Jr)との時間が持てるようになったかと思いきや、突如現れたトミーによってロッキーといられる時間がなくなってしまったJr。転校した学校でいじめに遭い、ボクシングを習っていじめた相手にやり返して、それでロッキーに褒めてもらおうとするも、ロッキーはそっけない態度を取ってしまう。そうして親子の距離感が出てくるのが寂しい。前作までのロッキーはとにかく偉大だったけれども、今回は息子との距離感で悩む不器用さが見られる。


誘惑

 

ロッキーの熱血指導によってめきめきと頭角を現していくトミー。そこに黒人プロモーターで拝金主義のデュークが接触してくる。当初は夢と希望を抱いて練習に励んでいたトミーだけど、デュークから高級車や「彼女」、その他色々なプレゼントを贈られてくるうちに徐々にロッキーから心が離れていく。そしてしまいにはデュークと契約を結ぶまでに至ってしまう。こうした人間の変わりようを見せつけられるのは寂しい。

 

感想

 

今作は唯一ロッキーのボクシングシーンがなく、シリーズ史上駄作と言われている。まあいつもは最後にボクシングの試合をやってるけど、今回は酒場でのストリートファイトだからなあ。
それでも人間ドラマとして観るならば価値はあると思う。ロッキーとJrの親子関係、そして弟子入りしたトミーの変わりようとか。
個人的にはトミーには改心してまたロッキーのところに戻ってチャンピオンを目指してほしかったけど。もっとも、単なるサクセスストーリーで終わらないところがロッキーシリーズの見どころでもあるけど。

ロッキー4を観た ネタバレ注意

 

あらすじ

 

クラバーを倒し、再びチャンピオンに返り咲いて幸せな日々を過ごすロッキー。そこにソ連(現ロシア)のアマチュアボクシングチャンピオンのドラゴがプロボクシング界に参入し、ロッキーへの挑戦を申し出る。
それを聞いたロッキーの宿敵でもあり、最大の親友でもあるアポロは「引退してもまだ闘志は消えていない」と言い、ロッキーの代わりにドラゴと戦うことに。

 

ロッキーをセコンドに迎えてドラゴと対戦したアポロは、当初は往年のテクニックでドラゴを翻弄するなど余裕があった。だがドラゴは反撃に転ずると強烈なパンチを浴びせ続け、アポロは何度もダウンを奪われてしまう。あまりに凄惨な状況から、ロッキーは試合を止めるように促すも、最後まで戦い抜こうとするアポロはそれを拒み、ドラゴに立ち向かい続ける。そして遂にリングに沈んだアポロはそのまま立ち上がることもなく息を引き取る。

 

最大の親友を喪ったロッキーはアポロの敵を討つべく、ドラゴとの対戦を決める。決戦の地はアウェーのソ連。ファイトマネーはなし。ソ連の最新鋭の科学トレーニングで鍛え上げるドラゴに対して、ロッキーは極寒の大自然の中で黙々とトレーニングを重ねる。

そして運命の決戦の日。観客のほぼ全員がロシア人かつ、ソ連の大物政治家まで顔を見せる完全アウェーの中、冷徹な殺人マシンと化したドラゴとの戦いのゴングが鳴る…

 

 

アポロの死

 

前作ではミッキーを亡くしたが、今回はミッキーの後を引き継いだアポロをも喪う。思えばアポロは、登場した当初は口達者で挑発ばかりする生意気なイメージが強かったけれども、ロッキーとの2回(厳密には3回)の激闘を経て友情が芽生えていった。ミッキーを亡くしたロッキーを厳しくも粘り強く支え、ロッキーのチャンピオン返り咲きに多大な貢献を果たした。
今回はその恩を返すでもないけれども、ロッキーが逆の立場になって支えようとする。もっともこれはロッキーにとって最大の後悔になってしまうけれども。

 

 

アメリカ対ソ連

 

放映された時期が冷戦の真っただ中の為、アメリカとソ連の対立が際立っている。前作まではナショナリズムとかは描かれなかったけれども、今作では国家ぐるみで動いている。特にドラゴ陣営が顕著だ。国家の最新鋭のトレーニング施設で徹底的に管理されたメニューをこなしていく。いかにも共産圏らしい。それに対してロッキーは現地の雪に囲まれた丸太小屋で、丸太を切ったり、ソリを引いたりといった原始的トレーニングを積む(しかもソ連の当局の監視付き…こちらも共産圏らしい)。そんなピリピリムード全開の中、ロッキーがトレーニング中に雪で動けなくなった現地住民を助けるシーンが個人的にはホッコリする。あとは監視役の当局の車が雪に埋まるのもちょっと笑える。

 

ドラゴの感情爆発

 

アポロを死に追いやった憎き敵ドラゴ。試合中も不気味なくらい冷静で、黙々と強烈なパンチを浴びせる「殺人マシン」といってもいい。そんなドラゴだが、ロッキーとの激闘の中で、何度打ちのめしても立ち上がり続け、試合開始前は大ブーイングを浴びせていた観衆をも次第に味方につけていく状況に業を煮やしたソ連の首脳から、「国家のメンツを潰す気か?」と発破をかけられる。それに対してドラゴは「俺は自分自身の為に戦っている!」と言い放つ。殺人マシンから一人のファイターに変わる瞬間だ。

 

感想

 

完全に政治的メッセージの強い映画だと思った。今まではどん底からの挑戦、失われたハングリー精神とプライドを取り戻す戦いといったドラマだったけれども、今回のロッキーはアメリカ代表として国家の威信を背負っている。まあ完全に国民的ヒーローとなったからだけども。
大ブーイングを受けた観衆を徐々に味方に引き付けていき、ドラゴに打ち勝つ。最終的には観衆だけでもなく、相手国の大物政治家からも称賛されたロッキー。その際に放った、「俺たちは変われる」。これは冷戦もいつかは終わり、また平和な時代が訪れることへの思いを込めた言葉だと思うけれども、どの時代でも通じるものではなかろうか。

ロッキー3を観た ネタバレ注意

前作も長ったらしく書いてしまったけれども、今回も長文で申し訳ないが、ロッキーシリーズの話を。

 

 

あらすじ


前作のアポロとの激闘を経てヘビー級チャンピオンとなったロッキーは10連続防衛を達成し、巨額の富を得て順風満帆の日々を過ごす。しかしながらかつての闘争心を失ってしまった。
そんな中、若さと勢いのあるクラバーがランキング1位となり、ロッキーに挑戦を申し込む。当初からトレーナーのミッキーから対戦を止められてきたロッキーだったが、妻のエイドリアンを侮辱した挑発に我慢できなかったロッキーはこれを引退試合にするという条件で挑戦を受けることに。
そして迎えたクラバーとの試合では、かつてのキレも闘争心もなくなったロッキーにはクラバーの猛攻に太刀打ちする術もなく、2ラウンドでKOという無様な結果となった。
更にその際にミッキーも心臓発作で喪ってしまう…
そんな失意の中にいたロッキーの前に現れたのは、かつて2度の激闘を演じたアポロだった。ロッキーに失われた闘争心を取り戻させようとする為に。
アポロという強力なバックアップを得て、再びトレーニングを再開していく…

 

生活環境が一変


チャンピオンとなって10連続防衛を達成し、CM出演等も増えて国民的スターにのし上がったロッキー。大きな豪邸や高級車、バイク等を手に入れて前作とは打って変わってセレブになっている。逆に言えばそれが闘争心を失わせて腑抜けになってしまうのだが。まあ、大抵の人間はそうなるよなあ。

 

ポーリーとの対比


物語冒頭でロッキーが取りざたされる中、うだつの上がらないポーリーは通りがかったゲームセンターでロッキーの写真が掲載されたゲーム機に物を投げつけて警察に捕まってしまう。ロッキーが身元引受人として現れるんだけど、栄光を掴んで立派なセレブとなったロッキーと、未だにくすぶるポーリーとの対比が見事に描かれている。
ポーリーは毎回ろくなことをしないけれども、それでもどこか見捨てられない魅力がある男なのだ。

 

ミッキーの死


第一作目からいがみ合いから和解して、絶大な絆を築いたロッキーとミッキー。クラバーとの試合直前に患っていた心臓が悪化して、ノックアウト直後に息を引き取る。時に厳しく接しては対立し、それでも二人三脚で成功を収めてきた2人には親子以上の絆が生まれていたのだ。よくよく考えればロッキーのハングリー精神を失わせた一因はミッキーにもあるのだけど、それはロッキーを守りたいという思いやりでもあったのだ。

 

アポロとの共闘


ミッキーの死とクラバー戦での敗戦で失意のどん底だったロッキーの前に現れたのは、アポロだった。かつてのロッキーには「虎の目」があった。つまり再び闘争心を取り戻させようとしたのだ。
そこでアポロの故郷のカリフォルニアにて、「トレーナー」アポロによる猛特訓が始まる。かつては力を入れていなかったスピードを重視したトレーニングを行うけど、敗戦のショックから立ち直れないロッキーは練習に身が入らず、すぐに音を上げるザマ。流石のアポロも見捨てようとするけれども、そばにいたエイドリアンの叱咤激励でまた練習に取り組んでいく。ミッキーの役目をアポロが見事に引き継いでいる。
そして、アポロとの猛特訓にて新しいボクシングスタイルを身につけたロッキーは、ラングとのリターンマッチで見事勝利を納め、再びチャンピオンに返り咲く。そして、試合後にロッキーとアポロは誰もいないリングでひっそりと「第三回戦」を始めて物語が終わっていく…

 

感想


前作を観た者としては、人間というのはお金や生活環境でかなり変わってしまうものだということ。冒頭のロッキーは前作と打って変わって余裕ありまくりだし、調子にも乗りすぎている。
そういう意味で言ったらアポロはしっかりしてるなと思う。チャンピオンから陥落しても堕落することはなく、失意のロッキーを厳しくも支えている。


今作からは「失う」ことがカギとなってくる。今までは貧しく、失うものがなくひたすら上を目指していく展開だったけれども、今回は大切な人を失うという重くて避けようのない試練がのしかかってくる。
どうしようもない悲しい現実はどんな人にも訪れるだろうが、それでも歩み続けていかなければならないというメッセージがこの作品にはあるのだと勝手に思った。