ダメ人間にもなれない

年金、福祉のない超低資産の老後生活

あの時頑張っておけば良かったとは思えない

長期間ニートやひきこもりをやっていた人が、「あの時ちゃんと働いておけば良かった」、「あの時が頑張り時だった」などと後悔するのを目にする。

 

そういうのを見ると、

 

「すげえわ」

 

 と素直に言いたくなる。

 

俺はどの過去を振り返ってみてもあの時が頑張り時だったとは思えない。強いて言えば、もっと自分の主張を押し通す努力をすべきだったことぐらいか。

 

たま~に今の考えと能力を持ったまま過去に戻ったら一体何をしていただろうかと妄想することはあるけど、小中学校時代だったら学校で喚きちらして不登校の道を辿っていただろうか?

 

高校時代だったら登校するフリをして私服に着替えて図書館で時間を潰す日々を繰り返して、たちまち中退していただろうか?

 

専門学校時代だったら学校にも行かず、アルバイトを探したり、国内旅行とかをしてすぐに中退していただろうか?

 

その後の会社員生活だったら、同居している家族の相談もなく退職願を提出して、しばらくは出社するフリをするだろうか?それどころか、下手すると当時の同僚や上司をぶん殴っていたかもしれない。想像しただけでも恐ろしい…

 

ざっとこんなところだ。何れにせよもっと勉強や仕事に精進しておくべきだったとかは考えられない。過去に戻ってしまったら今以上に堕落した人生を送ってしまった可能性が高いだろう。

 

これを読んでいる方には理解できないだろうね。何でそんなに頑張れないのか?何でそんなに諦めきっているのか意味不明だ、と。

 

俺自身も正直言ってよくわからなかった。周囲の人と何が違うのか、何でみんなそんなに頑張れるのか、と。

 

最近になって過去の記憶や周囲から言われた言葉を思い起こしたりしていると、とある事実に繋がってきた。

 

努力はしてこなかったが代わりに我慢とかにエネルギーを使いすぎていたことだ。

 

 多くの人だったら、「飛行機の整備士になりたい」、「医者になりたい」といった自分なりのサクセスストーリーを描いて、それに向かって努力していく。

 

それに反して俺は、「何とかして学校に行かないと」、「何とかして会社に行かないとヒドイ目に遭わされる!」という強迫観念(個人的には世間にはそういう圧力は強いと感じているが)に追われて、学校や会社に行くという「普通」のことを命がけで行ってしまっていた。

 

その結果多くの人が努力に使うエネルギーを我慢に使ってしまう。個人的には疲弊してボロボロだけど、実際のところ努力はしていないので周囲からは単なる怠けとしか見られずに責め立てられ、ディスられる。

 

そしてなけなしの自己肯定感も完全に削がれていくと、虚無の極地に至ってしまい、誰にも止められない状態へと至るのだ。

 

まあ俺の状態にまで陥ることは滅多にないと思われるけども、もしも同じ状態にまでなってしまった人がいるとしたら頑張れなんて言うことなど人道に背いていると思うし、言えない。

 

ただ、まだ壊れ切っていない人たちに対して俺から言えるのは、我慢と努力は違うということ。そして限界を通り越して我慢すると俺のようになってしまうぞ、ということは強調しておきたい。