ダメ人間にもなれない

PCの画面をクリックするしかできない男の日記

憎しみは抑えることはできても消せはしない

今週はとあるtweetが原因でイライラしていた。

 

twitterでも弱者叩きや何もできない人間に対して説教し続ける(俗にいうシバキ。俺は骸蹴りと呼んでいる)発言を見る度にイライラしていたけど、今回のは自分のtweetに対してのdisりっぽかったので余計に腹が立った。

 

引用リツイートで罵詈雑言を吐いてやろうかとも思ったけど、「あんな人間の相手なんかしたら負け」、「向こうにも都合がある」と言い聞かせて何とか抑えていた。

 

けれども時間が経ってくると、ま~た怒りがこみ上げてくるんだわ。しかもそれ以前の自分の中にある憎しみがセットになって。仕事中でも表情に出ちゃったり、トイレをしていても「〇すぞ」と呟いたりして。

 

我ながら情けないね。取るに足らない相手の発言に苛まれて自分のことができないなんて。

それでふと思ったんだけど、今までの憎しみを抑えたり我慢してやり過ごしてきたけど、実際はそれをやっても憎しみは消えないんじゃないか?それを積み重ねていくと後々になって大きなツケになって返ってきちゃうんじゃないかと最近痛感するようになったし。

 

特に俺みたいな努力できないタイプの人間は、努力の代わりに我慢とか別のものにエネルギーを使いがちで、実際に何もやれないし、理解もされないし。

その話は前回も書いたけど。

 

 

teinousennin.hatenablog.com

 

そうすると我慢は逃げのようにも見えてくるね。とはいっても生きていく中で我慢もしなきゃならないし、逃げなければ前進できない場面もある。

でも、我慢とか逃げの後には必ず代償を払わなければならなくなるのは確実だろう。

まあご利用は自己責任と計画的にということだな。

 

今の俺に言えるのは、また憎しみに苛まれないためにも、自分の人生を生きることを意識しなければならないのだろう。なので、年末にはアレをやる。