ダメ人間にもなれない

年金、福祉のない超低資産の老後生活

「黒子のバスケ」脅迫事件 最終意見陳述集を読んで

今年になってから、何度も黒子のバスケ」脅迫事件 最終意見陳述集を読んでいる。

note.mu

 

2012年から発生した、漫画「黒子のバスケ」の作者や関係者を脅迫した渡邊博史受刑者(2018年の時点)の陳述書。当時のニュース等を観ていたら何というクズ野郎なんだ?とクズ人間ながら見下していたけれども、後々彼の陳述書を読んで考え方が変わった。

 

なぜなら、彼が幼少期からいじめられ続け、更に親からは虐待に近い教育を受け続けてきて自己肯定感が壊されてしまっていたところがわかったこと。次に、彼の指摘する教育観や社会観が自分が今まで模索していたものとピッタリ一致したこと。そして何よりも、恐ろしいほどにわかりやすくて読みやすい文章力があることだ。もしも興味がある人がいれば読んでみてほしい。

 

 その中で特に注目したいのが、「努力」についてだ。


人間はなぜ努力できるのでしょうか?それは努力の先に勝利などの報いがあるからです。少なくともあると信じられるからです。人間は参加資格のない大会に出場するために練習はできませんし、受験資格のない試験を受けるために勉強はできません。

 

その他にも努力しない人間は、社会や人間といった恐怖と必死に戦っていて、努力している人たちと同じかそれ以上のエネルギーを使っているとも書いている。俺自身に当てはめても、ある程度は合っていると思った。


努力しない人間はどうしようもないクズ!という風潮が強いが、その根底まで追求する人はなかなかいないだろう。俺も含めて努力しない人間っていうのはどうしようもない生きづらさを抱えているけれども、その原因がうまくつかめない。追求しようにも疲弊してそれもままならない。なので周囲に説明しようにもできないので当然理解もされず、孤立するという最悪のスパイラル。正に無念だ。


こうなってしまう大きな原因は彼も書いていたけれども、幼少期の教育いじめ虐待などによって自己肯定感が低くなってしまうことだろう。勿論そこから立ち直ることも可能だけれども、普通の人以上のエネルギーを使わなければいけないのは否定できない。

 

本当はその辺りを理解してほしいところだけれども、流石に酷というべきだろうか。せめて、このクズは自分には理解できないような苦しみがあるんだろうなあという気持ちだけは持ってほしいものだけどね。無理強いはしないけど。


最後に、決して彼の行動(罪状)を肯定するわけではない。彼には生きて刑期を全うする義務があると思っている。

それでも、今までの自分の悩みというか、根底にあったモヤモヤしていたものがわかりかけてきたのは事実である。

 

そして渡邊受刑者に対してだが、「生きろ」と命令することはできないが、せめて優しい人に恵まれることを願うばかりだ。それだけ貴重な考えを持つ人物だと俺は思う。