ダメ人間にもなれない

年金、福祉のない超低資産の老後生活

そういえば発達障害についてググらなくなったなあ

約5年くらい前はすがる思いで発達障害についてググったり、書籍を探しまくっていたのを思い出した。特に「セルフチェック」なんて毎朝やっていた時期もあったくらいだ。

やっていた理由は俺自身にその傾向(アスペルガーADHDが混じった感じ)が強いと思っていたから。具体的に言うと複数の処理ができないのとか、極端に手先が不器用だったりとか、幼少期に一人でいることが多かったというのがあった。

 

当時は自分が普通の人とは違うという確固たる理由が欲しかった。そのことで今後の人生が何か変わるのではという淡い期待もあった。

だけどある時に、「発達障害の受診希望者の7割は健常者」という衝撃的な記事を見つけた。その他にも「ありもしない障害のせいにするのは人間の風上にもおけない」だとか、「本物の障害があっても頑張っている人たちに失礼だ」などという批判的な意見も目にするようになった。

 

一気に絶望の淵に叩き落された。

 

確かにセルフチェックをやってみても「本当に俺は発達障害なのか?」という疑問も湧いてきたし、勇気を出して診断を受けに行っても、「貴方は健常者です」というどうしようもないジャッジを受けて、診察料と時間を無駄にするのも馬鹿らしくも思えてきた。因みに一度だけ診断を受けてみようと医療機関に電話をしたこともあるけど、診断を受けられるのが数か月先になってしまうと言われて、それ以来は診断を受ける気にはなれないでいる。

 

もう無念だったね。そうして発達障害でない「健常者」扱いされたとしても、どうしろという話になっちゃうし。見かけは違和感がなくて「普通」に見えても中身はズタボロだしね。過去にはヤバい時期も本当にあったし(今もだろうが)。

 

それでこんなことをリアルで言おうものならば、「甘えだ!!」、「努力が足りないだけだ!!」だの俺から言わせれば「的外れな正論や精神論」の嵐が飛び交ってくる。こんなんじゃ言いたいことも言えないし、ますます病むよ。

 

まあ、発達障害じゃないとされてもそれで頑張れる人はいい。だけど俺はそうはいかなかった。色々な問題が絡んでるんだろうけども、昔から頑張るとか、努力するとかそういう発想自体が無かったから。

 

もう周囲からは「普通じゃない」という理解や承認が貰えなくなった以上は、「周りに普通と言われようが、俺は普通じゃない。中身は既にすり減ってる。」と覚悟を決めるしかないのだ。時折くる承認欲求に苛まれ続ける茨の道になるだろうが。

 

最後に、本物の発達障害やその他重病だったり様々な障害を持ちながら懸命に生きている方々もおられるのも知っているし、俺のような甘えた文書を読んで不快になったり激昂したりする人もおられるのを踏まえて書かせて頂く。

 

病気や障害の有無問わずに頑張っている人は沢山いて、その頑張り自体を俺は否定しないし、むしろ称賛されるものだと思う。

しかし、だからといって俺みたいな頑張らない人間に対して「自分が頑張れるのだからお前も頑張るのは当然だ!!」といった意見に対しては違うと申し上げたい。

楽しているのが許せない、ムカつくという感情が捨て切れないのだろうが、それで本人が頑張れないケースだって多々あるのだ。むしろ逆に迷惑をかけられたり最悪犯罪に走られるリスクだってあるだろう。

せいぜいお互いに相手にしないようにしていきましょうとしか言えない。

 

頑張っている人たちを攻撃したり敵視したりするのはいけないとわかりつつも、理不尽な攻撃に対してはやはり黙っていられないのだ。

 

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