ダメ人間にもなれない

PCの画面をクリックするしかできない男の日記

自分の人生を成長株と見るか、消耗品と見るか

最近はブログを書いていなくてひたすら積みゲーなり、日々の生活に追われたりしていた。そんな生活ではあったが、時折marimonさんみたいにネットで活躍していたりする人たちのことが頭の中に浮かんだ。「何であの人たちはあんなに前向きに努力したり行動できるのだろうか?」と。

 

俺が思いついたのは、彼らは自分の人生を成長株と見ることができるのではないかということだった。

無職とかニートとかそういうカテゴリのブログとかを読んでいると過去に壮絶ないじめを受けたりだとか、不登校経験があるとか、働いた会社でパワハラを受けて精神障害を患ったりと辛い過去を背負っている人たちが多い。

それでもその人たちの多くはそんな過去に負けずに資格を取って再就職したり、正社員以外の道を模索して行動したりしている。それができるのは傷ついているけれども壊れ切っていないから。もっと言い換えれば根底に安心感があるから努力ができるのだ。

なので努力の過程で失敗があったとしても、長期的に見れば必ず価値が上がると信じられる。

 

逆に自分の人生に価値があると信じられない人はどうだろうか。時間が経つにつれて健康状態は悪くなり、就職先も狭まれるし、何の取り柄もなければ徐々に人に相手にされなくなる。それだけでもキツいが、なけなしの自己肯定感までもが破壊されてしまったら正直どうしようもなくなる。

そんな人生なので当然将来性など見込めるわけもなく、消耗品としてしか見れなくなる。もっと言い換えれば更に価値が下がり続けるので損切り対象といえばいいだろうか。

 

俺は残念ながら自分の人生を消耗品としてしか見ることができない。人生を逆転とか再生とか謳っている人たちは凄いと思うと同時に埋めようのない溝のようなものを感じてしまう。

刹那享楽的と言われればそれまでだが、残された日々を好きにできるだけ楽しく生きる、そういう生き方しかできないのだ。或いはもしかしたら生まれた時からそういうタイプの人間だったのでは?と今は思う。