久し振りにギリ健ネタでも書いてみよう。
俺は極端に手先が不器用で、単純作業くらいしかまともにこなせない無能だ。しかしながら病院に行っても高い診察費と膨大な時間を使って「健常者」の烙印を押されるのが目に見えているので、「無理矢理健常者のカテゴリにはめ込まれた存在」というのを渋々受け入れている。
それで妥協できる人もいるのだろうが、やはり俺は辛いんだよね。周囲からサポートや理解を得られる人たちの方がやはり楽なのかな?と思ったりしてしまう(無論彼らにも想像を絶する苦悩があるはずだ)。
そんな愚痴や弱音をSNSやブログにぶちまけたりすると、ギリ健VS正式な障害者、或いは頑張れるギリ健VS頑張れないギリ健みたいな対立に走ってしまったり、その逆で単なる傷の舐め合いで終わるのも何の進展もない(本当に再起不能にまで陥った人に対してはそれもアリかもしれない)。
じゃあ俺たちギリ健はどう生きたらよいのだろうか?
自分で言うのも恥ずかしいが、未だに明確な答えが打ち出せていない。
卑怯な言い方になってしまうが、その人によって答えややり方が変わってくるのでこれが正しいとは言えないのだ。「とにかく努力しかない!つべこべ言ってる奴は甘えだ!」というやり方がいいのかもしれないし、「何とか社会福祉を受けられるようにするんだ!」とやるのも一理あると思う。
せいぜい「この人のやり方が近いんじゃないかな?」という風に自分に合いそうな人の考えを参考にしつつ、自分にアジャストしていかなければならない気がするのだ。
現在俺が思うのは、単に甘えて困難から逃げているだけだと批判されるのは踏まえつつも、克服を前提とするのではなくて自分にできること、やりたいことをピックアップして、それらをコツコツ極めていく。
その上で余裕ができたら苦手なこと、やりたくないことに手を出していければいいと思うがどうだろうか。