以前は承認欲求にとらわれた「承認乞食」から脱するために、「他者からの承認なんて必要ない!」と息巻いていた時期もあった。しかし現在では、承認欲求は消せないものであり、誰しも一定数あるものではないかという認識に変わっていった。
特に俺も含めてブログやSNS等の外部に情報を発信しているのは、それなりに承認欲求があるということではなかろうか?本当に承認欲求がなければ外部に発信せずに、wordなりメモ帳に考えを綴ればいいわけだし。
これは決して外部に情報を出す行為自体が悪いというわけではない。承認欲求と上手く付き合っていくことが重要なのだと思う。
話は変わるが、貴方が今求めている「承認」は本当に必要なものなのだろうか?
世の中では承認が必要とされる場面は確かにある。会社内でも備品を購入したり有給休暇の届け出を出す際は上司の承認が必要となってくるし、選挙で立候補して当選するには有権者に投票してもらうという形で承認が必要となる。あとは銀行に融資をお願いする時にも当然銀行側の承認が必要だ。
でも、上記のような他者の協力が必要でない場面においては如何なものだろうか?
例えば趣味のブログを更新したり、旅先での美しい風景や美味しいものをアップしたりとか。確かにそれらをアップして「いいね!」や「拍手」を貰えるのは嬉しいし励みになる。でもそれって本当に必要なことだろうか?他者からの承認を貰う前に自分が納得してるか、楽しんでるかの方が重要ではなかろうか。
あとは「山奥ニートさんとか大原扁理さんみたいに既存に囚われない生き方をしたい!だけど周囲がそれを許さない」という風に他者からやりたいことを承認されないから我慢をしている人たちも多いと思う。俺もその一人なのだが。
だけど、それって他者から承認がないとダメなことなのだろうか?日本という国はニートだろうがひきこもりだろうが法律上はお咎めがないはずだ。
要は法律の範囲内で、自分一人でやることなら承認とかそういうのは不要だということだ。そりゃあ自分のやろうとしていることに共感して貰ったり、応援して貰えるのは支えになるけれども、本当に自分がやりたいことならそういうのは関係ないと思う。
不安になった時は他者からの承認にすがりたくなるけれども、今一度その承認は本当に必要なのかを考えていきたいものだ。