ダメ人間にもなれない

PCの画面をクリックするしかできない男の日記

諦めてあげる

過去の記事や呟きを読まれた方にとって、俺は「冷酷」とか、「人に対して無関心」、「無責任な放任主義」と思われる方も少なくないだろう(一番多いのは何と頭の悪いやつだ?となるだろうがw)。

俺は基本的に人に対して「期待しない」、「諦める」ように心がけている。

何故ならば、自分がそうされた方が楽だと思うからだ。

 

例を挙げると実家暮らしのケースだ。親からの過剰な期待だったり、プレッシャーで苦しむ人が目立つ。かく言う俺もその一人だけど。

本当はポスティングのアルバイトができればいいくらいだけど、親からは正社員一択で働くことを強要されたり、心身ともに就職活動なんてできる状態ではないのに、「お前はできるはずだ、頑張れ頑張れ」と叱咤激励されたりとか。

 

親からすれば子供を思ってのことだろうが、子供側からすればできないことを無理矢理やらされているわけだからたまったもんじゃない。

それでうまくいけばいいけど、大抵は失敗しちゃうんじゃないかな?下手すれば仕事中に事故を起こして損害賠償を請求されることもあるし。

 

だったら自分の子供はそんな大したことはない、せいぜい犯罪とか起こさなきゃいいやみたいな感じで突き放した方がいいんじゃないだろうか。流石にここまでいくとやり過ぎかもしれないけど。

 

勿論こういった「ドライ」な接し方は人によっては忌み嫌われ、単なる非情な奴だととられることもあるだろう。

だけど、個人的にはこういったドライさも見方を変えれば優しさの一つだと思っているし、性分に合っていると思う。

 

要するに愛とか優しさというのは一方通行になってしまうと歪んだものになってしまう危険があるということだ。

 

連休が続くと

現在長い連休に入っている俺ではあるが、思いのほか心が休まっていない。

 

プライベートの問題とか諸々あるけれども、その中でも、「いつかは自分も連休関係なく働かされる日が来るんじゃないのか?」、「今の仕事を辞めたらもっと休みがなくて低賃金の場所で働かされるしかないじゃないか」といったものが大きなウェートを占めている。

 

 

現にtwitterを眺めていても(これも不安要素の一つだろう)、GW関係なく仕事をされている方も少なくない。

そういうのを見ると俺は恵まれているんだなと思うし、恵まれた環境にいる分際で社会批判とかをするのは如何なものかと自責の念に囚われもする。

 

誤解のないように書くが、GW中に働くことが悪いとは思ってない。中にはGW中に稼ぎたい人もいるだろう(俺もポスティングとかやれたらやりたい)。

あと、今年はGW中にライブに行く予定はないが、ライブに出演するアーティストなんて俺たちが休んでいるときにライブという仕事をしているじゃないか。

特に現在フェスに引っ張りだこの10-feetHEY-SMITHなんて土日祝の多くは出勤日だぞ。

俺が言いたいのは働きたい人は自由にどうぞということで。

 

それにしても、現在は基本土日祝日は休みを貰っているので、今から土日関係なく仕事、残業なしとかの業界に行くのはかなり辛い。

それでも何とか人並みにこなせて、あるていどは自分のペースでできたりする仕事だったらそれでもいいかなとは思うけど、現実的にそんな職場に巡り合うのは宝くじに当たるくらいの難易度だろう。

予想されるのは、合わない会社に入って、そこで怒られまくって、喧嘩か解雇という結末くらい。だったら最初から入社しなけりゃいい。

 

もしも今の仕事を辞めてニートになったら、確実に家から脱出して、お国への1年分のお布施(住民税、国民健康保険国民年金)を払って、きっちりと引っ込ませてもらうとしよう。

でも、ポスティングとか看板持ちとかそういう仕事があったらやっていいかなと思う。

 

話が少し逸れたけど、こういった不安はどうやっても消せないのだろうね。

何はともあれせっかくの休みなので、ただ何もしないだけじゃなくて、今後のことを考えたり調べたりするのに時間を割くのも悪くないだろう。

欲しかった言葉

30半ばのオッサンが吐く言葉じゃないのはわかっているが、恥を忍んで言おうと思う。

俺がずっと欲しかった言葉。

それは…

 

「あんたの好きなように生きなさい」

 

お金とかも勿論大切だけど、この一言だけで良かったのだ。別に助けられないのならば助けないでいい。だけど、せめて自由にやらせてほしい。厳しい自己責任世界なのだから、できる限り俺の好きなようにさせてほしかった。

 

積極的に行動している人から見たら、「とっとと自立しろよボケ」となるけれども、幼少期から否定されまくって親のペット状態になってしまった者にはそれは難しいのだ。

それで明確な病気や障害があれば周囲の理解も得られることもあるが、そこまでいってないギリ健状態なもんだからそれもままならない。本物の病気や障害のある方には想像を超える苦しみがあるけど。

 

せめて家から追い出されてアパートを用意とかしてくれれば良かった。初期費用の敷金・礼金だけ出してもらって、後は自分で家賃を払っていく形とかでもいい。まあ、金がないのだったら自分の貯金でやり繰りするけど。

 

他の方のtwitterやブログを読んでいても、親と同居していて自由に生きられない人が結構いるのが目立つ。中には俺とは比べられないくらい辛い状況の方もいるし。

 

本当に俺がユ〇クロの会長とか、〇フーの社長くらいの資産があるんだったら、1000万円くらい渡して夜逃げさせてあげたいくらいだ。勿論俺も夜逃げしたいくらいだけど。

 

それでもって一部のネット民(多数?)からは「努力が足りん!」、「頑張れ頑張れ」と総攻撃を食らう。あんたらがもっと理解する努力をしなさいよ。

 

こんな感じなので、いくら待っていても欲しい言葉は貰えそうにない。だったら俺が勝手に言うとしようか。

 

「できる限り自由にやろう」

 

欲しい言葉をくれる人を探すよりも、好きなように生きられるように腹を括る方が手っ取り早いようだ。

いきなりフルマラソンに出場することにした

柄にもないが、地元のフルマラソン大会に出場することに決めた。

 

週末はずっと家の中でFallout4をやっていたい性分ではあるが、友人からの一緒に運動しようという誘いを断れず、屋内外問わずランニングをやっていたのだ。

 

当初は週一で運動する習慣ができればいいかなと思っていたけど、施設に貼ってあるマラソン大会のポスターを見る度に、一度くらいは出てみてもいいかなという風に変わっていった。

 

以前の俺だったら、何で貴重な仕事の休みにマラソンなんか走らなきゃいけないんだ?とスポーツイベントを軽視(というよりも嫌悪)していただろう。だけど、実際に走ってみると、思っていたよりも走れたので、「もしかしたらいけるんじゃね?」という自惚れた感情が生まれてきたのだ。

そうしたマラソン大会への参加の意欲はあったものの、元来の面倒くさがりと決断力の無さが祟って、約1年くらいは参加せずじまいだった。週末は酒を煽るように飲んで、ダウンしていたというのもあるし。

 

そんな日々を送っていた俺ではあるが、「やるならやる、やらないならやらない」いう風にしていかないとズルズルいって、最終的にはストレスになってしまうように感じてきた。

 

なので、ネットで出場登録をすませてしまった。本当はもっと経験を積んでいくのが望ましいと思うが、こうでもしないと何も行動しないから。

 

とはいえ、フルマラソンの42.195Kmは未知の世界だ。かつては家の近くの5~6Kmをランニングしたことはあるけれども、その8倍の距離を走るなんて我ながら無謀なことを考えたものだ。

 

とりあえず、週に一度はランニングの習慣を確実に入れるようにしていきたいと思う。あとは雨天時でも何らかのトレーニングを入れなければならないだろう。

 

なので、しばらくはロッキーのテーマを流しながら鉄アレイスクワットとかをやっていくとしよう。後は生卵の一気飲みも…(結構本気でやろうと思っている)。

 

何とか制限時間内に完走して、回収バスに収容されないようにはしていきたい。

このブログを始めたきっかけ

最近気づいたけど、このブログを開設して半年が過ぎていた。意外と長く続いたものだ。というわけで、今更ながらブログを開設(厳密には転生)したきっかけについて書いてみよう。

 

去年の始めくらいにGOOGLEで「無能は働かないほうがいい」という内容で検索をかけていたら、「GAMEMEMO」というサイトが見つかった。そこのブログ主は大学を中退後、単発のアルバイトをやりながら、ネットビジネスに挑戦しようとしていて、そのスタンスが気になった。

 

無能な働き者は殺すしかない

 

いきなり強烈なフレーズとなってしまい申し訳ないが、働き方に対しての考え方が自分とマッチしていた。ブログ主の方は合わない仕事を無理矢理やり続けた結果、会社にも損害を与え、本人も当然嫌な思いをして、この考えに至ったようだ。
そんな「無能」が頑張るよりも、むしろ引きこもって遊んでもらった方が社会の為になるというのは個人的に正論だと思う。

 

できることをこつこつやる

 

上記の経験から、自分に合った単発のアルバイトを探したり、自分にできそうなネットビジネスを調べて実践していく。現にゲームを紹介する記事を書いていた。
そうしたできることをこつこつとやっていき、最終的には自活できるようにするのが目的だそうだ。
できないことを克服するのが当たり前というのではなくて、できることを更に伸ばしていくのが「努力」の方向としていいのではなかろうか。

 

現在は閉鎖されてしまったので残念である。ブログ主にも金銭面や環境面での問題等があるので、一読者の俺は口を挟む権利などないのだけれども。

それでも彼のブログがブログ再開に大きな影響を与えたのは事実だし、そのマインドは勝手に受け継ごうと思っている。

憎しみは抑えることはできても消せはしない

今週はとあるtweetが原因でイライラしていた。

 

twitterでも弱者叩きや何もできない人間に対して説教し続ける(俗にいうシバキ。俺は骸蹴りと呼んでいる)発言を見る度にイライラしていたけど、今回のは自分のtweetに対してのdisりっぽかったので余計に腹が立った。

 

引用リツイートで罵詈雑言を吐いてやろうかとも思ったけど、「あんな人間の相手なんかしたら負け」、「向こうにも都合がある」と言い聞かせて何とか抑えていた。

 

けれども時間が経ってくると、ま~た怒りがこみ上げてくるんだわ。しかもそれ以前の自分の中にある憎しみがセットになって。仕事中でも表情に出ちゃったり、トイレをしていても「〇すぞ」と呟いたりして。

 

我ながら情けないね。取るに足らない相手の発言に苛まれて自分のことができないなんて。

それでふと思ったんだけど、今までの憎しみを抑えたり我慢してやり過ごしてきたけど、実際はそれをやっても憎しみは消えないんじゃないか?それを積み重ねていくと後々になって大きなツケになって返ってきちゃうんじゃないかと最近痛感するようになったし。

 

特に俺みたいな努力できないタイプの人間は、努力の代わりに我慢とか別のものにエネルギーを使いがちで、実際に何もやれないし、理解もされないし。

その話は前回も書いたけど。

 

 

teinousennin.hatenablog.com

 

そうすると我慢は逃げのようにも見えてくるね。とはいっても生きていく中で我慢もしなきゃならないし、逃げなければ前進できない場面もある。

でも、我慢とか逃げの後には必ず代償を払わなければならなくなるのは確実だろう。

まあご利用は自己責任と計画的にということだな。

 

今の俺に言えるのは、また憎しみに苛まれないためにも、自分の人生を生きることを意識しなければならないのだろう。なので、年末にはアレをやる。

 

 

 

 

もしも自殺を止めるとするならば 閲覧注意 前書き必読!

 

まえがき


今回の話はかなり重い内容で、人によっては閲覧をしない方が良いのかもしれない。
それでもという方ならば自己責任の上で読んで頂きたいと思う。
決して自殺を推奨する内容ではないことは宣言しておく。

 

自殺は到底推奨されるものではないが、場合によっては肯定できると考えている。理由はその人が楽になれるのならそれでいいんじゃないか?という思いと、下手に生きられて通り魔とかテロとかをやられるくらいならば自殺に留めてくれたほうがマシだとも思うからだ。

 

それでも、目の前で「自殺してやるぞ」と言われたら止めてしまうだろう。手前勝手な話だけど、自殺ほう助罪に問われるのと、罪悪感に苛まれるから。

 

だから「応急処置」はするつもり。だけどその後の責任なんて一切背負えない。なので必ず生き抜いてくれ!なんて命令する権利などない。

 

そんな俺ではあるけれども、以下のケースだったら可能な限り止めにいくつもり。

 

周囲から「自殺しろ」と言われたから自殺しようとするケース。


理由はどうであれ、本人に自殺する意思がないならば周囲に従う必要はない。むしろそいつらをぶん殴ってもいいくらいだとも思える。自殺するならば自分の意志でやるべきだとも思うので。

 

養う家族(妻子がいる等)がいるケース


本来ならば自分の面倒を看ることができないのに結婚とか子づくりとかはするべきでないと考えているが、もしも子供とかがいる場合は流石に止める方向でいくかな。本当は本人の意思を尊重したいけど、金銭的にも精神的にも子供に打撃を与えてしまうから。
その時は俺も福祉サービスを勉強したり、お金を与えたりするなどして説得したい。

 

基本は生きたきゃ生きようぜ!といきたいところだけど、完全には言い切れないのが現状だ。
それでも、巷で叫ばれているような「自殺はダメ、絶対」と口だけ出しておいて、お金も労力も出さない連中のような真似はしたくない。それだったら黙っていてもらいたいし、むしろ精神的に追い詰める行為にもなりかねないので罰金でも取ってやりたいくらいだ。

 

俺としては自殺を止めるとかそういう前に、何か手を打ってやれればいいと思うんだけどな。