ダメ人間にもなれない

PCの画面をクリックするしかできない男の日記

抑死者の続きを読んだ ネタバレ注意

先月の記事で紹介させて頂いたあららぎ奈名さんの「抑死者」の続きをLINEマンガにて読んでみた。

 

 

teinousennin.hatenablog.com

 

バトル要素が強くなった

 

1巻の終わりにて主人公の貌無と同じ「抑死者」の留が拉致されて、それを救出するところから話は始まる。今回は人質に取られた留の為に、同じく抑死者の佐鳥と戦う羽目になってしまう。しかもこの佐鳥は女性でありながら棒術の達人で、貌無の攻撃を先読みできるので相当強いのだ。1巻では無双を誇っていた貌無もかなりの苦戦を強いられる。

 

あと、最後に死願者に対して安らかな死を提供する実質的なラスボスが出てくるんだけれども、貌無自慢の嗅覚を無効化してきたり、貌無の攻撃を受けても大してダメージを受けなかったりとこちらもなかなかの猛者。全体的に敵キャラが強化されている。

 

新たな抑死者たち

 

今回は貌無の「友人」で小説家志望の留、女性で死願者を収容する施設の責任者の佐鳥、女子高生の新などなど沢山の抑死者が登場する。中でも最後に出てくる新は貌無の暴力的な抑死に対して批判しつつも、徐々に貌無に共感していく。ある意味物語の本意を伝える役割を担っているともいえる。

 

読み終えて

 

単行本が発行されていなかったのでLINEマンガで読んでみたが、やはり抑死法は許せねえ!の一言に尽きるのだ。本来ならば被害者である死願者をほぼ強制的に収容施設にぶち込んだり、罰金を取ったりとこの世界ははっきり言ってイカレている。死願者を追い込んだ人間にはほぼお咎め無しであったり、原因となった社会制度とかそういうのにはノータッチというのも胸糞悪い。そうした面ではリアルを上手く描いているというべきだろうが。

 

個人的には物語の最後に出てきた会社員の死願者に強いシンパシーを感じた。会社で仕事ができなくて疎まれて精神的に追いやられており、新の必死の説得に対しても結局最後まで応じることがなかった(何とか一命は取り留めるが)。この物語に出てくる死願者は最終的に思いとどまって、新たな人生の一歩を踏み出すのだが、この時は歯切れの悪い終わり方となった。俺はこの最終話にこそ本作品のメッセージが込められているような気がした。

 

最後に、抑死法とか物語の世界観に対して強くdisってしまったけど、やはり生死をテーマにしたという点では見どころがあったし、願わくばまだまだ連載してほしかった。ついでに言えばブラックジャックに出てくるDr.キリコみたいな抑死者のライバル的なやつも出てきてほしかった。

あと、抑死者たちに関しても考え方に関しては賛同できなかったけど、キャラとしては立っていたので結構良かったと思う。

 

 

 

 

 

 

もしも俺が資産家の893だったら

もしも俺が資産1兆円を持つ893だったら、毒家庭から逃げ出したいけど逃げ出せない人たちの家に乗り込んで毒家庭から引き離すボランティアをやるだろう。巷で言われる引き出し屋ならぬ引き離し屋。

 

流れとしてはこんな感じ。本当は自宅から出たいけれども出られない引きこもりの〇〇さん(30歳と仮定)が依頼主。

 

俺 「どうもお邪魔します。〇〇さんのご依頼を受けたていのうと申します」

 

〇〇の親 「は?何ですか貴方は?」

 

俺 「〇〇さんから、自立のご相談を承りましたていのうです。少々お時間頂いてもよろしいでしょうか」

 

と言いつつもズカズカと茶の間に乗り込んでいく。

 

俺 「実は〇〇さんにはこの家を出て頂いて、こちらで手配した新しい住居に引っ越して頂くことになりました」

 

〇〇の親 「何を急にそんなことを言い出すんですか?〇〇は私たちが責任持って自立させます。貴方にとやかく言われる筋合いはありません!」

 

俺 「すみません、〇〇さんがどのようなお気持ちで日々を過ごされたか想像したことはございますか?」

 

〇〇の親 「はい?」

 

俺 「〇〇さんはずっと貴方たちに干渉されながら暮らしていて、その過程で自立する活力を奪われたんですよ?そういうことを少しでも考えたことはあるんですか?」

 

〇〇の親 「貴方には関係のない話でしょう?」

 

俺 「ですから私は〇〇さんから前々から自立したい、家から出たいという相談を受けてたんですよ!それに〇〇さんは立派な成人じゃないですか?貴方たちのペットじゃないですよ?いつまでもお子さんに依存してるなんておかしいじゃないですか!?」

 

俺 「〇〇さんには初期の生活資金100万円とアパートの一室をこちらが責任もって提供します。そしてもしも〇〇さんを連れ戻そうとしたりしたらこちらとしても対抗措置を取らせて頂きますのでお忘れなきよう」

 

そう言って〇〇に荷物をまとめさせて車に乗せる。

 

俺 「〇〇さん、ようやく自由を手に入れましたね。これからは良くも悪くも貴方次第です。あとはお好きなように自分の人生を歩んでください」

 

こんな感じ。本当に滅茶苦茶な会話でリアルでやろうとしたら確実に逮捕されるよ。

でも、こんなことをやってくれる人が本当にいたらいいなと思うくらいに苦しんでいる人たちをネット上で見ている。親からひたすら干渉され続けてペット状態の引きこもりニートの人だったり、働いてはいるけれども自立する財力がなくて活力も失っている人だったり。

 

よく引きこもりニートを無理矢理家から連行して収容所に送る引き出し屋は見かけるけども、引き離し屋なんて存在しないしね。まあ仮に引き離し屋をやろうとしても引きこもりニートの人たちに依頼するお金なんてないケースが殆どでビジネスとして成立しないから。

そして何だかんだ言って親の方がお金があったりするからどうしても引き出し屋が横行しちゃうんだろうね。親に子供の将来の不安を煽ったりすればどうしても依頼したくなるからやはりある程度の需要があってボロい商売になるのかもね。

 

俺としては引きこもりニートに集団生活をさせて社会復帰を促すよりは、海外から優秀な人材を引き込んだ方がいいと思うけどね。勿論そういう社会復帰が全く無駄ではないと思うけど現代の高度化した労働ではどれだけ通用するのか疑問符がついて仕方ない。

 

あとは引きこもりニートが親に暴力を振ってそれで施設にぶち込むケースとかもあるけど、それだったらあぎるさんもブログで書いておられたが子供の為にアパートを借りてあげるとかできないだろうか。実際には難しいとは思うが、距離を取ることは重要なので。

 

こんな引き離し屋なんて妄想してないでとっとと自立すればいいじゃないか!と言われればそれまでだけど、それが難しい人もいるという現状もご理解頂きたいと思う。

 

今は何もできないが、一人でも多くの人が自由になってほしい限りだ。

 

 

 

 

 

頑張れは相手を選んで使う言葉

「頑張れ」という言葉は基本的に使わない方だ。むしろ「好きにしろ」みたいな言葉の方が圧倒的に多い。理由は俺にとって「頑張れ」という言葉は相手を束縛するみたいな意味合いが強く感じるから。

 

だからと言って頑張れという言葉自体が大嫌いなわけでもない。状況、使う相手によってはどんどん使っていい時もある。それは相手が何かに本気で取り組もうとしていて、それを後押しする時だ。

 

特に俺はブラックな企業から転職しようとしている、毒親のいる実家から逃れようとしてる、或いは世界一周とか自分のやりたいことをやろうとしている人達に対しては松岡修三氏も真っ青になるくらいのウザさで頑張れと言ってあげたい。犯罪行為とかとんでもなく迷惑がかかる以外のことならば例え無理だとわかっていても後押ししたくなる。

 

 

逆に頑張れと言ってはいけない時も当然ある。それは相手が完全に気力を失っている時だ。そんな人間のケツを蹴るなんてクソなイジメ同然であり、無益な行為だ。残酷なことを言うがその相手は何をやってもダメだ。せめてそっとしておいてあげることが武士の情けだろう。

 

ネット上で特に目に付くのが、ブラック企業とか毒家庭によってボロボロになった人たちに対して「お前はできるはずだ頑張れ頑張れ」とか、「お前が弱いから悪いんだよボケ!」といったシバキだ。前述した通りその人が何かをやろうとしているのなら別だが、大抵の人は戦闘不能状態に近い。

 

努力しない奴が大嫌いという心理だろうが、それこそあんたの問題であって自己責任だろうがと言ってあげてもいいが、ぜーったいに聞く耳持たないだろうし、粘り強く説得するだけ時間の無駄ってやつだ。

 

まあ俺みたいな戦闘不能状態になるのはレアなケースだろうけど、そうなる前に何とかできるのが理想だろうね。

 

頑張れという言葉は決して悪いものじゃない。だが、頑張れを使う前にできるだけ相手を観察して、その人が本当にやれる人間なのかを見極める必要はあると思う。

Fallout4に合う曲って何よ?

PS4にFallout4をDLしてから約3年が経つが、未だにちょくちょくプレイしている。ここ数年の貴重な時間のほぼ半分以上はFallout4に費やしたといっても過言でないくらいに。

 

そんなことで今回は個人的にFallout4 に合いそうだと思う曲でもピックアップしていこう。

 

1本目はこちら

 


布袋寅泰 - 「202X」

 

布袋寅泰の「202X」。ベタ過ぎて申し訳ないけど、ヒャッハーな世界でモヒカンレイダー達と戦うならばこの曲がいいだろう。MVではケンシロウギターよりも拳王様の細かいドラミングがとてもシュールだ。

 

2本目はこちら

 


ROTTENGRAFFTY "世界の終わり" OFFICIAL MV

 

ROTTENGRAFFTYの「世界の終わり」。MVの防護服といい、感染といい、核戦争後の放射能汚染したFallout4の世界観と見事にマッチしている。ちなみに歌詞も世紀末感とギリギリ感をしっかり出しているのでこの曲をチョイスした。

 

3本目はこちら

 

www.youtube.com

先の2本はどちらかと言えば「戦闘」の時に合う曲だったけど、Fallout4の世界観全体としては鬼束ちひろの「月光」がダントツだろう。音楽も荒廃した寂れたフィールドにマッチしてるし、何といっても歌詞がドンピシャなのだ。「この腐敗した世界」とか、「効かない薬」といったフレーズがFallout4の世界に直リンクしている。

 

他にも合いそうな曲はあったけど、3本に絞った。本当は洋ゲーなので洋楽で合う曲があると思うので、何かないだろうか。

 

俺にも技術があればFallout4のmadとか作ってみたいけど、誰か作ってくれないかな。

 

俺がもしも親になったなら

あり得ない話だが、もしも俺が人の親になったならとたまに考えることがある。

 

今の考え方からいくと確実に放任、無関心型の親になるだろう。

 

過去の記事を読んで頂いている方ならおわかりかもしれないが、俺は基本的に押し付けたり人にどうこうしろと言うタイプではないし、猛烈に嫌っている。

というよりも俺自身が縛られたり、ああしろこうしろと言われるのが大嫌いで、基本的に放っておいてほしいと願っているというのが正しいだろうか。

 

子供が俺と同じタイプならそれでいいかもしれない。だけど、俺と真逆できっちり構って寄り添ってほしいタイプだったら・・・

 

虐待だ… 

 

虐待といえば子供を正当な理由もなくしつけと称してひっぱ叩いたりするイメージが俺の中では強いけれども、放任も度を過ぎれば同じ行為なのだ。

 

要するに子供がどうしてほしいかということを汲み取らないといけないということだ。そして例え愛があったとしてもそれが一方通行になってしまっては本末転倒である。

 

かなり悪い例え方になっちゃうけども、一方的に好意を寄せるストーカーが相手に対して、

 

「自分はこんなに貴方を愛してるのに貴方は何も応えてくれない酷い人間だ!!」

 

と、こんな感じになったら本当に最悪だ。 将来的に何らかの報復をされても文句は言えないだろう。

 

世に言う毒親というのももしかしたら彼らなりの愛というか思いやりみたいなのがあるのかもしれない。親から見放されて育ったのであれば我が子にはそうさせまいと過干渉になっちゃったり、逆に厳格に育ったのであれば完全に放任になっちゃったりとか。

 

だとしても子供からしたらたまったもんじゃない。愛があるから無罪放免!となるのはあまりにも虫が良すぎる。毒親の環境から脱することができるならまだいいけど、その気力すら失われたなら本当に地獄だ。

 

まあ、結婚とは既に無縁の世界に首を突っ込んだ俺には無縁な話だから杞憂だけどね。でも相手を思いやった行動が仇となって、相手を苦しめてしまうこともあることは頭の片隅に置いておかなくてはいけないと思う。

 

 

全然走ってないけど来年のエントリーが決まった

前回のフルマラソン完走から1か月が過ぎた現在だが、全く走ってない…一応筋トレはちょくちょくやっているが。

 

天気が悪くて外で走るのが億劫というのもあるけど、それでもせめて室内でランニングマシンに乗るなり、プールに行くなりすべきだった。

 

こんな感じで全く始動の兆しがない俺だけれども、来年に参戦する(したい)フルマラソンが3本決定していた。内2本は地元でやるやつで、もう1本は秘密だ(本当に参戦できるのかすらわからない)。それで地元でやる1本が来年の5月に開催される大会で、昨晩早速エントリーしてきた。

 

こうでもしないと本当に参戦が途切れてしまうし、ランニング自体も廃れてしまうだろう。

 

本当に去年の自分では考えられないね。今まではフジロックとかライブのチケットの早割に即応募するとかはあったけど、こうした「やる側」に回るようになるのは自分でも不思議に思う。

 

これから雪が降ってますます走る機会が少なくなるだろうけども、せめてスクワットぐらいはやっていきたい。それか、ロッキー4みたいに丸太でも切ったりとかしても面白だろう。

ニート、無職、その他生き辛さを抱えた人たちへ向ける言葉

人様に対してどうこう生きなさいよとか言えるガラじゃないが、たまにはいいだろう。

無職、ニート、障害を抱えている人達、ギリ健、ダメ人間、その他生き辛さを抱えている人達に対して向ける言葉があるとしたらこうだ。

 

 

「その気があるなら殺すつもりでかかっていけ!!」

 

 はい、ドン引きさせてすみませんでした。元ネタはとあるライブでの某バンドのボーカルが演奏中に観客に対して、「殺すつもりでかかってこい!」と煽ったセリフ。

 

もっとソフトに言えば「やる気があればやればいいんじゃね?」となる。言われた側からすれば「どれだけ突き放しとんねん!?」、「何ちゅう冷酷な野郎だ!?」となるだろう。確かその通りだ。

 

だが、巷ではびこる「嫌なことから逃げるのは止めろ!!」とか「お前はできるはずだ、頑張れ頑張れ」なんて叱咤激励は簡単に言えない。それを言っていい相手は、例え間違いであったとしても何らかのアクションを既に起こしている人だと思う。

 

その気力すらない、何らかの理由で奪われている人たちに向かってシバき続けるのは単なる自己満足であり、イジメに等しい。というよりも時間を無駄にするアホの所業だ。

 

無論生き辛さを抱えている人たちが全て気力を失っているわけではない。むしろ生き辛さを抱えていてもまだ諦めていない、自分の価値を信じられる人たちの方が多いように感じる。なので同じ生き辛さを抱えている者でも諦めた系の俺みたいなのは相容れないのが現実なんだよね。

 

それにこの先は本当に優秀な人しか生き残れないだろうしね。世界のイーストブルーみたいなこの国も海外の様に真の実力者しか生き残れない真世界となるのは時間の問題だろうし。

 

そんなモッシュ(激しいロックバンドの演奏で起こる客同士のぶつかり合い)状態の社会に心身ともにボロボロの人たちを放り込むなんてできるか?それこそ悪趣味だし、誰も得をしない。

 

だから思いやりに欠けているとか優しくないとか言われようとも、突き放した言い方しかしないし、できない。それでも無能でも生きられる社会を実現したいと考えている人たちを非難したり冷笑したりはできないが。

 

何もしてやれない俺だけれども、自己責任の社会である以上はせめて自由に生きてほしいと願うばかりだ。